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すごいタイトルつけたもんだ。
俺は拳銃を撃ったことがある。それは数年前、ツアー先の韓国でのことだった。別に娯楽として、ふざけはんぶんで銃の撃てる施設に行ったわけではない。俺は当時から戦争反対だの、海外の紛争についてだの、曲でも文章でも言葉にしていた。そういうことを訴えるうえで、銃の一発も撃ったことがないというのは、どういうことなのだろうと思ったのだった(もちろん、例えば戦争したことがあるやつだけしか戦争に反対してはいけないというのは、おかしな論理だとも思っている)。ゲームでも映画でも銃撃戦の類は溢れかえっている。悲しいけれど、そういうニュースもある。だけども、リアリティをどこまで持って観ているのか、俺には自信がなかった。衝撃で、どういう気持ちになるのかを知りたかった。
銃の撃てる射撃施設は韓国の繁華街にあった。明銅という、渋谷とか原宿みたいな場所だ。そういう街の中心部にこのような施設があることが驚きだった。俺は通訳の案内でその施設に行き、あまり衝撃が大きくないと言われている小型の銃を選んだ。ナントカマグナムみたいなヤツを店員に勧められたが、注意書きには「結構ヤバいよ、衝撃が」というようなことが書かれていて、それが怖かったので、小さいヤツを選んだのだった。
銃の打ち方のレクチャーを受けたあとは、銃撃ブースみたいなところの後ろで順番を待った。自分で決めて射撃場に来たわけだけど、怖いな、と心の底から思った。
順番がきて、俺はゴーグルとマスクをして射撃ブースに入った。銃は自分のほうを向けられないように、射撃場スタッフによって細いチェーンで固定された。俺は小型の拳銃を両手でしっかりと握って、引き金を弾いた。バンというよりは、もう少し高い感じの、パーンというような音が壁に反射した。音というよりは圧、と言う感じもした。肩から指先にかけて、どんどんと緊張によって固くなっていくような感覚があった。全ての弾を撃ち終えてブース裏に出ると、手はわなわなとしていたし、膝が少し震えていた。なんとも言えない、不快な気分だった。こんなものを人に向けて撃てるわけがないと思った。そう、俺の身体は俺の心に語って、心は後追いで、それを認知した。
その後、ゲロを吐きそうになった。
ブースが奥に見える待ち合いにいると、日本から来た家族たちがワキャワキャと入ってきて、銃を選び、ブースのほうに入っていった。小金をもっていそうな爺さん、息子、そして孫、という構成だったように思う。俺はその小学生くらいの孫がキャッキャと銃を撃っている姿に絶句した。うまく撃てたか撃てないか、その会話に胸くそが悪くなって、そのあとでなんだか絶望的な気分になった。
韓国の街中には、迷彩服を来た若者がポツリポツリといた。休暇なのか、一時の帰省なのかは分からない。ふと、「ドラムが兵役に行っていて」というような、韓国の音楽友達たちからよく聞く科白を思い出した。日本で言われる「平和ボケ」って、どういうことなんだろうとも考えた。
そういうことを、思い出した。
まあでも、最近の戦争は、誰が誰を殺しているのか、直接的なところに意識がいかないように仕向けられているのだと思う。ミサイルとか、無人の爆撃機だとか、ハイテク兵器はこういった生々しい銃器からの衝撃や、炸裂音や、破裂音や、血や、飛び散る肉や、焼けこげた人体や、粉々になったビルの匂いを隠匿する。というか、軍隊に戦争を国民が委託した時点で、その一切まで委託しているんだよ。隠匿しているのは俺たち市民だ。画面越しに、火薬の匂いはない。だからこそ、恐ろしい。日本に住みながら、その匂いや音を生々しく脳内で再現できるひとなんていないだろうし。
のっぺらぼうにするんだね。顔がない。テロ国家といえば、そこに住むすべてのひとがテロ国家の極悪人だとしてしまう。撃ってる側はそういうふうにして、想像力をぶっ殺して、感情を削ぎ落とす。あいつらみんな極悪人、殺してしまえ。そんなわけがあるか。単純化するな、ド阿呆。戦闘機に乗るのも、ミサイルを発射するのも、どこかの誰かだよ。母親の胎内から産まれてきた人間だ。
こんなことを、どうして考えるようになったのかは、なんだろうね、無頓着ではいられないような気分になったんだよね。どっかの爺様とかオッサンとかが、頻繁に物騒なことを言い出すようになったからかもしれない。
決定的な何かはないけれど、音と、匂いがする。空気は読むもんじゃないと思う。そこには面倒な圧や膜があるから。だから、嗅いでみたり、耳を澄ませてみるのが良いと思う。俺にはなんか、嫌な音が聴こえるんだよね。12月12日。