選挙について考えている
カテゴリ:日記

 

 今回の総選挙はとても難しい。どこの政党を支持しようか、というか積極的に支持したい政党がないということが悩みの根本だ。この政党は良いかもなと思っていろいろ調べてみると、所属議員の中には党是とは違う方針をはっきりとアンケートで答えている政治家なんかもいる。なんのために徒党を組むのか、それは一定の政策を推進するためではないのか。ということは、選挙のための集いというわけだ。こういう人たちは、選挙の後であっさり公約をどこかに仕舞い込んだり、或いは離脱したりするのだろう。

 

 そういう政治への不満や不信も確かに分かるけれど、一方で、俺は今まで政治とどういう距離感で接してきたのかという自戒もある。はっきり言えば、関わり合うことが面倒くさい、ポリティカルな感じにみられたくない、そういう気持ちがあったと思う。それでもフェスのMCで「選挙行け!」とか「今日は◯◯回目の終戦記念日だ」とか言って場を盛り下げてきたのだけど...。でも、まあ、ツイッターや日記でそういう発言をすると震災以前はまずもって荒れたし、原発のことを震災前に書いたら「なら電気使うな!」とかいうド阿呆がわらわらと群がってきたし、そんなもの面倒くさいに決まってるわけで、まあ、あんまり言わんとこ、となっていたのも事実だ。

 

 だから、こういう空気は自分たちが作ったし、誰に投票するかなんていうことは毎回難しいに決まっているわけで、それをなんとなく誤摩化して、政治家と官僚でなんとかやってくれと、勝手に全権委任していたのがこのザマなのだと思う。政治家や官僚たちが悪い悪くないとか言う前に(悪いヤツもいるだろうけど)、俺は市民としてどうだったのか、もう一度自分を問わないといけない。そして、今回だけそういうことを考えるのではなくて、これから、当たり前にしていかなければならない。

 

 そうしないとどうなるか。「国民はバカだから、一部のエリートだけでやればいいんだよねー。投票率?上がったらバカが選挙に来ちゃうじゃん。ムリムリ。アイツらに国のことなんて分かるわけがない。いいから黙って税金払ってれば良いんだよ。ワイドショーでも見てさぁ。ワロス」ということになってしまう。のではないか。というか、そう思っているインテリはけっこういるぜ。だから、変わるべきは市民であるわけよ。俺が変わるのだ。

 

 俺たちは機械ではない。これは自明のことなんだけど、どこの職場でだって、本当に自分にしかできない仕事って、どんどん減ってる。誰でもできる仕事は当然、賃金が低くなる。替えが利くから。国際競争ということを考えれば、大きな産業はなるべく安く製品を作りたいのは当たり前。どうするか、機械みたいな人間が必要。なので、顔を奪うわけ。ひとりひとりの個性をぶっ殺す。もしくは、一番賃金が安くて効率の良い(治安やインフラなど)を求めて地球上をさすらう。貿易しない、奴隷貿易だよ、これは。

 

 だから、自発的にそういう圧力に抗うことが必要。アイデンティティを内面に探している場合じゃないよ。学んで、技術を身につける。そのひとにしかできないこと、自分にしかできないこと、それを覚えないといけない。それは行動にならないと個性としては認知されない。自分で個性って言ってもダメだよ。個性は他人が認証するもんだから。行動として、身体をつかって、脳内とか画面とかから引っ張り出さないといけない。

 

 行動しよう。町に出て人と話そう。

 

 アジカンを聴くような若い世代に言いたいことは、特にないけれど、師匠を見つけるのが良いと思う。技術を受け継ぐ。すごい爺さんとか婆さんとか、そういうオンリーワンの技術を受け継げ。それは丸ごと歴史で、文化で、伝統で、君を活かす。大学なんて、ただ行ったってダメだよ。偉そうにすまない。

 

 10年じゃ利かないね。続けるしかない。選挙権のない君が選挙権を持つころにも、あんまり成果ないと思う、正直言って。でも、続けるしかない。20年かけて変えないといけない。だからクソジジイになるまで、同じことしよう。抗おう。続けていけばポツポツと、格好良い政治家と官僚が出てくるから、ソイツを見つけよう。で、応援しよう。今は、見つける能力が、俺にも君にもない。それは反省して、探そう。

 

「それ俺のことです!」っていう政治家は、存分にアピールして欲しい。今まで見つけられなくてすみません、って謝りますので。震災から1年と9ヶ月。12月11日。

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