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仙台公演が無事に終了。とても良いライブだった。何度も込み上げてくるものがあった。ある瞬間には泣き崩れてしまいそう何かだったし、音楽と喜びが一体になって言葉にはできないような感情にも包まれた。
あれから一年と9ヶ月。震災後、初めて仙台を訪ねたのは6月だった。たわんだ東北道を音楽仲間たちと、カッチコチの機材車のシートに尻を強打しながら走った。6時間かけて辿り着いた。そして、仙台に宿泊して石巻に向かった。石巻に向かう道すがら、どんどん普通ではなくなっていく景色に言葉を失った。到着したチャリティライブの会場では、小学校の裏のお墓に車が縦に何台も刺さっていた。会場もしばらく前までは、遺体の安置所だったという。自衛隊員が被災者のために炊出しをしていた。彼らは、その温かい炊出しを食べずに、自衛隊員用の缶詰などを食べるのだと聞いた。
夜は仙台に戻ってストレイテナーの面々と合流し、HINATABOCCOの皆とアコースティックライブを行った。
夜が明けて、HINATABOCCOのメンバーは気仙沼へと向かった。もともと、気仙沼や仙台の人たちが企画してくれたライブだった。だけども、僕は先に約束があったので、ひとりで南相馬に向かった。放射能が怖くて、死ぬほどドキドキした。その前の月にいわき市に行ったときよりも何倍も緊張していた。辿り着いたライブ会場であるスーパーには、たくさんの人たちが集まってくれて、よぼよぼの爺さんから「来てくれてありがとう」と感謝された。『上を向いて歩こう』という曲をリクエストされたけれど、この曲の歌詞はとても悲しいので、前日に岩崎愛がやっていた替え歌バージョンを真似して歌った。「幸せはここにあるよ」と歌った。そして、何とも言えない気持ちのまま、仙台に戻った。
アジカンのツアー地方公演の最後が仙台であったことが、とても感慨深かった。
また、東北のいろいろな町へ行きたい。岩手県の大船渡市のリアスホールでも、今回のツアーのライブをやりたかった。それが叶わなかったのが、心残りだ。
終演後はメンバーとスタッフ全員で打ち上げ。残り4本の東京・神奈川公演が残ってはいるが、全員揃うのはこの日だけということで、これまでの労をねぎらいあって乾杯した。そして、残り4本への決意を新たにした。12月9日。