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高松公演は無事に終了。この日の『アネモネの咲く春に』 はとても良かった。
誕生日ということもあって、楽屋にケーキが用意されていたり、ファンシーな感じのシャンパン、純米大吟醸の銘酒、絶倫のための精力剤のサプリメント、食いきれないほどの饂飩(うどん)、アマゾンのギフト券、叱咤、激励など、いろいろなプレゼントをメンバーやスタッフからいただいた。とても嬉しかった。観客の皆さんもありがとう。
食いきれないほどの饂飩の山に困惑していると、潔が「これだけあったら饂飩プレイに使えるね」と訳の分からないことを言ってきたので、テキトーにあしらった。
饂飩は俺の大好物のひとつ。関西だったらきざみ饂飩が最も好きな食べ方で、讃岐であるならば冷やしぶっかけがダントツに好きだ。だけれども、今回は湯でたての『日の出製麺所』の釜玉饂飩を楽屋でいただいて感激した。
なんとなく、月見うどんや月見そばの玉子を割ったあとの玉子感、「あとは僕がやっときますんで出汁とかもう帰って良いですわー」的な、そういう唯我独尊、独り善がりな黄身の暴走があまり好きではない。出汁が濁ってしまうし、味が変わってしまう。黄身と一緒に味わえる麺の量も限られている。なので、麺類における玉子のことを俺はまったく信用していなかった。拉麺の場合もそうだ。半熟味付煮玉子を齧った瞬間に失われる何かを俺は感じている。漫画雑誌の途中にあるダイエット広告の使用前/使用後みたいな、そういう変化が毎度ある。玉子を食った瞬間に別の世界に行ってしまう。何かが色褪せる。恐らく、玉子のコクが原因だと思う。
だけれども、今回の高松における饂飩 meets 玉子は、とても幸せな体験だった。『東京にもあったんだ』的な感覚で、こんな美味しいものあったんだ、と思った。ンマイ!と藤子不二雄Aの漫画の科白(セリフ)のように唸った。テンションが上がったので、もう一玉釜玉饂飩を食おうと思ったけれど、思い直して冷やしぶっかけを食った。
そして、この『うどんバカ一代』なる店の「釜バター」という釜玉饂飩もとても美味しかった。カルボナーラのようでもあった。カルボナーラのようでありつつ、だったらカルボナーラでよくない?とは思わない美味しさだった。自宅でもこの食べ方を試してみたいと思った。きっと、自分で作ったら不味いと思う。この店だから美味いんだと思う。
高松。讃岐饂飩最高。本当に良い町だ。住みたい。