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ハロウィンに関して、もう本当にすごく長い文章を書いたのだけど、バグがおきて消えた。むー。悔しい。
まあ、面倒くさいのでいいや。『死者』に関わる祭りとなると、これは日本という土地に根づいた死生観にも関わってくるので、たとえ楽しいイベントだとしてもそう簡単には乗っかれない。そういうことなんだと思う、俺がハロウィンに乗れない理由は。お盆という風習が日本にはあって、そちらのほうが肌に合うと感じているからかもしれない。そんな最もらしい理由が原因ではなくて、単にへそ曲がりなだけかもしれない。
日本に住みながら、日本的なものを随分放棄してきた明治以降の歴史を知るにつれ、なんだか空恐ろしくなっているという個人的な心情もある。本当の邦楽(例えば能楽だとか清元だとか)を懐かしいとも思わない自分がいる。欧米のロックばかり聴いているのも事実なんだけど、それって普通じゃないよなと思ってもいる。尺八の複雑な倍音を、たとえばもの凄い種類があったとされる藍染めの微妙な差異を、まくわうりの優しい甘みを、俺らは感じられなくなってしまった。
着物の着方もたたみ方も知らないし、自宅は畳よりフローリングの面積が多いし、なによりコンクリート製だし、今更チョンマゲにせいって言われたら嫌なんだけど、グローバルというような言葉たちを旗印に、均一化していく流れを無自覚に受け入れたくないってのも、ある。せめて、テリヤキバーガーみたいな抗い方をしたいなとも思う。
ハロウィンには幽霊や土着の鬼、水木しげる漫画にあるような日本妖怪のコスプレをし、稲穂や干し芋、干し柿やまくわうりを玄関に飾り狂って、栗の渋皮煮や煎餅を子供らに配る。そういう面倒くさいクソジジイになりたい。10月31日。