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いとうせいこうさんと山口県の祝島という離島に出掛けた。対岸に建設が予定されていた(いる)上関原子力発電所に反対する島民が30年間続けているデモと、自然豊かな島を取材するためだ。
新幹線で広島へ。そこから在来線で柳井港まで行き、フェリーに乗船。せいこうさんとは広島駅で合流したのだけれど、なにしろフェリーは一日に2本だけなので乗り過ごすと明日の昼の便になってしまう。そういうドキドキをせいこうさんも俺も持っている荷物よりも多く抱えていたのだけど、お互いの顔を観て緊張が少し和らいだ。まあ、ふたり旅なら多少の困難(急な便意など)があってもなんとかなる、という安堵感があった。
船で島に着くと、ちょうど夕暮れ前。民宿で宿帳に名前を書き、しばらく店主と歓談して祝島についてのお話をうかがった。その後はデモの時間まで島内を散策。月がとても綺麗だった。月が登った対岸の、少し右側が原子力発電所の建設予定地。左側へ回り込んだところに取水口ができ、見切れている右側に排水口が建設されることになっていたという。現在は、山口県知事の要請によって工事は中断している。震災以後の流れとして、原発の新設は断念すべきだという空気が世の中一般にはあるが、中国電力は新設の希望を捨てていないとのこと。とても美しい海だけれど、期限が切れた埋立の免許の延長が申請されていて、まだ延長される可能性があるとの説明だった。
俺はこのような美しい海を埋め立てることは、経済うんぬんでは抗えない損失だと思うのだけれど、どうなのだろうか。都会の人間の「自然っていいですね」という屈折したノスタルジーだと言われてしまうかもしれないけれど、それを軽く飛び越えるほどの透明度だった。お世辞抜きでとても美しい。
18時30分からはデモに参加。和気あいあいとしたムードで、真っ暗で狭い路地を数十名の島民とシュプレヒコールをしながら歩いた。夕食後の集団散歩というような雰囲気もあって、コールの間には普通の世間話や冗談が飛び交う。
それでも昔は、過激な時代もあったという。30年の歴史を紐解けば、おのずとそういう話に突き当たる。最初のうちは、賛成派の家の前に行って反対コールをするというようなものだったとの話もうかがった。賛成と反対で町はふたつに割れてしまったのだ。祝島では反対の住民が多く、原発が立地する対岸の地域では賛成派が多いとのことだった。震災以降、考え方が変わるひともいるとのことだけれど、田舎町の顔の見えるコミュニティの柵(しがらみ)はそれなりに強固だという。
デモの後はせいこうさんと島の公民館のような場所で余興。いくらかの住民を前に、俺は『迷子犬と雨のビート』『転がる岩、君に朝が降る』『アネモネの咲く春に』『123456 Baby』を歌った。せいこうさんは、まずは小唄をふたつ。そのあと『HIP HOPの初期衝動』『HIPHOPの経年変化』『刈りから稲作へ』を俺の伴奏でせいこうさんがラップした。『HIP HOPの初期衝動』は硬質なオクターブカッティングに合わせて、『HIPHOPの経年変化』はブルーズを意識した展開で、最後は超俺的にリハーモナイズしたコード進行でやったのだけど、どれも面白かった。ブルーズっぽく被せたらせいこうさんは結局ラップから歌唱に突入してしまった。そういう偶発的な部分が沢山あって面白かった。またやってみたい。
もう一曲!という流れだったので『海岸通り』を歌った。そして、最後は祝島の島唄を皆さんが歌って下さった。それがとても良かった。手揉み、というに相応しい手拍子も日本的で、なんだかとても楽しかった。
早朝の祝島。30年間、この美しい海と、その幸を守るために闘ってきた人たち。決して綺麗ごとばかりではなかっただろう。ただ、山口県では、祝島の島民たちのお陰で守られたモノや、不安が増えなかったという事実に、感謝するひともいるのではないかと思う。気づいたのは震災後かもしれないけれど、気づきがあったということは大きい。都会生活者の俺がとやかく言うことではないのかもしれない。だけれども、ひとたび事故がおきれば、かなり広域に影響が及ぶことはみな経験して知った。そこで地元のひとたちがどう望むかは、とても大きいと思う。もっとも、どこからどこまでが「地元」なのか、原発の場合は判断が難しいけれど。
土建国家は建てることだけを担保に成長してきた。ただ、もう建てることが成長に繋がらないことは、震災以前の経済の状況を見ても明らかだと思う。そう言う中で、まだ建てろ増やせよの精神でこんなに美しい海を埋めてしまうのは、時代に逆行していると感じる。
合併に継ぐ合併で大きな自治体を作るのではなくて、分散していくこと。500人程度のコミュニティだからこそできることがある、そういうことを祝島の島民は指し示しているように思う。大きな集合体には大きなエネルギーが必要になる。分散して、地産地消すること。グローバリズムに逆行することこそが、実は俺たちの暮らしを本当の意味で豊かにする。俺にはそういう直感が随分前からある。ロック歌手のたわごとかもしれないけれど、こういう考えは莫迦にできないと、自分で思う。
一方で、俺たちの生活が、こういう場所を脅かしてきたこと、態度を変えなければ脅かし続けて行くことを考えないとならない。そういう時代になったんだなと強く感じた。まったなしで、考えていかなければならないんだなと、思った。俺は巨大な集合体の一部であることも、省みないといけない。10月29日。