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移動中に『ホピの予言』という映画を観た。1986年の映画ということもあって、かなり昭和な感じのするナレーションが重厚さを演出していたけれど、内容自体もエネルギー産業(ウラン鉱石採掘とその精錬)に翻弄されるアメリカ原住民の話で、ずじりと重みのあるものだった。
この映画は11月6日に渋谷のUPLINKで上映され、トークショウもあるようなので、気になった方は是非(詳しくはコチラを)。「予言」と書かれてはいるけれども、スピリチュアル系の「予言」ではなくて、アメリカ先住民の部族に伝わる石盤に記された言葉から、広島と長崎、ホピ族の現在(80年代の話だけど)と我々が進むべき未来についてを示唆する内容になっています。80年代に作られた映画だけれど、2010年代の日本で上映することに、とても意味がある内容だと思いました。
当たり前だけど、アメリカには先住民がいて、要は占領して建国したわけです。日本列島だって、先住民はいたし、大陸からも四方八方の海からもいろいろな民族が流れ着いているし、それが混ざり合って現在は日本人と認識されている。いろいろな国が乱立していた時代もあったし、こうして日本国という体を成しているのは、歴史として古いわけではないと思う。莫迦な俺でもそのくらいは分かる。「◯◯国固有の領土」と言う言葉も、そういう文脈からみると、なんだか不思議な響きだ。アメリカ合衆国の固有の領土ってどこだろう。そんな土地はないんじゃないか、と思う、俺は。便宜上(どんな理由で?という疑問を明確に言葉にできないけど)国という単位に別れて、実務や実効がそこにはあるけれど、そもそも土地って誰のもの?という問いがある。現状がどうあれ、少なくとも、俺はそういう考えを持っています。
だから、そういう国という概念と自己を同一化してしまう考え方がよく理解できないし、それを根拠に人々が争い、殺し合うのも分からない。人を救うための宗教が、お互いを異端と呼んで殺し合う本当の意味も分かりません。もっとも国という概念がなくたって、それ以外のことで結局は争ったり殺し合いが始まったりするのかもしれないけれど...。なんなんだろうか、人間って。
こういう問いを日記に書くと、頭がポッカポカのお花畑野郎だと言われますが、その通りなので反論しません。10月22日。