かえるかわうち
カテゴリ:日記

 

 福島県双葉郡川内村。村役場で遠藤村長のインタビューを行った。The Future Times 4号の特集記事のためだ。

 

 

 詳しくはThe Future Timseの記事に書くけれど、物腰が柔らかくにこやかな遠藤村長。それとは裏腹に、様々な困難と憤りのなか大きな決断や決意で行動してきた、芯の強さを感じる方だった。

 

 川内村は一部地域が20km圏内に含まれている。おおむね、村は30km圏内にある。年間20mSvを超える恐れがあるとして居住が制限された区域を抱えているけれど、村の大部分は放射線量が低い(約0.1μSv程度)。一般に、そういう事実がどう受け止められているのかは知らないけれど、俺が想像するに、同心円的な距離感で「危険か/危険でないか」を判断するひとが多いと思う。もしくは、地名だけで判断するひとが多いと思う。「東北」や「福島」という言葉にイメージだけを被せたりして...。

 

 だけれど、放射性物質にとっては何km圏内/圏外かも、都道府県の境目も、町や村の境界線も、あるいは国境も、道路も、関係ない。そこにはただ数値があるだけで、川内村も場所によっては様々かもしれないが(例えば深い山間部など)、相対的に放射線量がとても低いという事実がある。除染も進んでいる。

 

 どういう状況で健康的な被害が出るのかということは、俺には分からない。「分からないから、ちょっと怖い」としか言いようがない。小心者なので、へっちゃらだとは言えない。低線量被ばくの「安全」性については、専門家の情報に任せるしかない。一般庶民は専門家の情報を引用して、語ることしかできない。専門家のように振る舞っている人もいるけれど、それは伝聞でしかない。そのひとが誰かに向かって威張り散らして語るならば、それは「虎の威を借る狐」としか言いようがない。お前が断言するな、と言いたい。残念ながら、ネット上にはそういうひとが多いように感じる。ノイジー(やかましい)からそう感じるだけかもしれないけれど。

 

 二本松市の農家の方の言葉を借りれば、これは「『安心』の問題」で、ひとによって差がある。個人の問題でしかない。

 

 どこに住むかという問いも、もともと個人的なものだと思う。年老いたら南の島で暮らしたいなぁとか、北海道の富良野で黒板五郎のような生活をしてみたいとか、そういうことを思うのも実践するのも、本来は自由だ。どこで暮らすかを決める権利は誰もが持っているべきだと思う。だけれども、原発の事故によって、どこか「住む」という選択について軋轢が生まれた雰囲気があるし、お互いで言葉の礫を投げ合っているようにも感じる。自分を「外側」という立場に置いて投げつけている言葉や言説には誹謗中傷や風評をたてるものがあるし、「内側」という立場から投げつける言葉が柵のようになっている場所もあると感じる。慎重に言葉を選んでいるつもりではあるけれど、俺もその軋轢の一員かもしれない。そういう自戒もある。ただ、このまま分断していくことが何のためになるのかと思う。悲しい気分にしかならないし、悲しみや憤りを増幅させるだけだと思う。

 

 俺は、自分が暮らす町くらい自分で決めたい。選びたい。だから、そういう当たり前の権利が侵害されていること自体が、問題なのだと思う。住みたいのに住めない場所があることが異常なのだ。もともと暮らしていた場所に突然「不安」の種が舞い込んできたことが異常なのだ。出来るならば、それを取り除いてあげたいと俺は思う。スーパーマンでも超能力者でもないので、願うことしかできないけれど...。

 

 人々がその問題に対して、お互いに罵り合うのは嫌だなと思う。人々がどこに住むかを選択するということにはそれぞれの理由があるのだから、例えば俺の家のベランダに勝手に住みつくような不法な行為は除いて、個人の選択は尊重されるべきだと思う。

 

 口で言うほど簡単ではないことは、村長のインタビューからも感じた。例えば隣接する双葉郡の沿岸部の被害によって生活様式(買い物や病院、学校など含め)を変えなければいけないというような、様々な難しさもあるのだと思う。それでも、村へひとが戻って、以前のような暮らしがまた始まるといいなと思った。以前のようにではなくて、新しい活気が生まれると良いなと思った。村長もこの状況をポジティブな活力に変えたいとをおっしゃっていた。村では、その日に向かって職員たちが準備を進めているのだという。それぞれのペースで村民がいつ帰ってきても良いように、村長たちは元気に、朗らかに暮らすのだという。

 

 俺は、とても誠実な村のあり方だと思った。

 

 そして、川内村、いいところだと思った。今度来るときは温泉にも入りたいと思った。というか口から出かけていたのだけど、取材に来たということもあって、なんとなく言いそびれた。「温泉に浸かりたいんだけど」などと突然俺が言い出したら、編集長として無能、阿呆、穀潰し、やっぱりロックのひとは粗野、わがまま、などと思われないか心配だったというのもある。それが心残りだ。

 

 新幹線の車中、どうしてこんな不条理を抱えているのかについて、考えた。原因だけではなくて、それを育んできた土壌についても。都会生活者の俺のような人間こそ、深く考えるべきだと思った。考えて何になるという問いを投げかけられるならば、今のところ返す言葉がない。だけれども、考えもせずに黙り込んで、自分だけ良ければいいと暮らしていくわけにはいかない。少なくとも、俺は。10月17日。

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