よく分からない話
カテゴリ:日記

 

 死は隠匿されている。生き物は当たり前だけど、殺して食う。でも、トンカツを食うのに目の前で豚を店主が屠殺して解体していたら、俺たちは食欲が湧かないと思う。キッチンの片隅で、豚の頸動脈に刃物を突き立てて、頭を落として内蔵を取り出し、そのあと皮を剥いだりされたら、食事どころではなくなってしまうだろう。新鮮なロース肉!ヤッタ!とは絶対に思わない。世界のどこかの狩猟部族だったら、そういうときでも「チョー美味そう!早く喰いてー!」となるんじゃなかろうかと思う、それが日常であるならば。でも、俺たちが普段何気なく食べる豚骨ラーメンのスープから、マトンカリーから、Aランチのヒレカツセットから、スナック菓子の裏面のビーフエキスという表記から、死が漂ってくることはほとんどない。

 

 まあそうやって、食べ物の中にある死ぬことや殺すことだけではなくて、いろいろなことを考えないでいいように世の中はできている。誰かがどこかで、その煩わしさを引き受けている。あるいは無自覚に押し付けている。便利なことが、必ずしも悪いことだとは思わない。美味いものを好きなときに食べられて嬉しいと思うことのほうが多い。別に食用とされる動物が可哀想だ、とは思わない。生きるか死ぬかという局面で豚と対峙するならば、俺はなんとかその豚を殺して食う方法を考えると思う。だけど、自分が大事に、昔飼っていた犬のように育てた豚だったら、食えるかどうかは分からない。他人の家の豚なら食うのか!と言われてしまうかもしれないが、俺は、他人の家の豚なら食うと思う。自分の家の豚を殺す場合には飛び越えられそうもないハードルをヒョイっと飛び越えると思う。それに、隣人が殺した自分の家の豚ならば食べるとも思う。自分では手をかけられないだけの話で。そういう手前勝手さ、エゴのようなものは正直に持っている。じゃあ、食える食えないの差ってなんだろう。正直に分からない。もっと深く、時間をかけて考えないと分からない。そういう面倒くさいことを、なるべく考えないでもいいように世の中はできている。

 

 そういう類の想像力を取り戻さないといけないなと、思ってる。この話は全体的に比喩です。10月7日。

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