福島をずっと観ているTV
カテゴリ:日記

 

 箭内さんの『福島をずっと観ているTV』を観た。とても複雑な気分になった。

 

 番組の内容は、15人の福島からの参加者が脱原発デモ(官邸前)に対する違和感や戸惑いを述べ、ひとりの若者が実際にデモに参加して、そこで実際に違和感を感じながらもスピーチ台に立つ、というものだった。ように思う。ように思うとここに書くのは、もしかしたら違う要約の仕方をするひとがいるかもしれないからで、実際に様々な番組への印象をネット上で見かけた。

 

 15人の参加者が言うことも、確かに的を射ていると思った。端から見れば、ひとが集まるだけでお祭りのように見えるし、過激なことを言っているようにも感じる。それは僕もそうだったし、最初ははっきりとデモが嫌いだったし、震災の後に鎌仲監督と対談した際にも俺はそういう旨の発言をしている。もともと、デモが嫌いで、別の方法で、反対するのではなくて別のアクションとして、そういう思いで創ったのが『The Future Times』だ。

 

 それでも、実際に参加したり、Twitnonukesの主催者に話を聞いたり、実際にデモに参加してみるうちに考え方が変わった。そういう想いについての変遷はThe Future Timesの編集長通信にもいろいろ書いてきた。確かに、過激なことを言うひともいる。納得のいかないスピーチもあるし、シュプレヒコールの中にはこれだけは一緒に言いたくないという言葉もあったことがある。そういうときには、俺も現場でムカっときていることがあるし、グサっと傷つくこともある。だから、もっと外の輪からみたら、そういう言葉に傷つくひとがいることは想像できる。う〜ん...としか言い様がない。自分の言いたいことと、違うことを言っているひとがいることを、どう受け止めたらいいのかというのは、特に官邸前に行き出してからの悩みでもある。

 

 官邸前に行くことについては、単純に、再稼働へのプロセスや原子力規制委員会の人事についてや、そういう政治的な決定に不満があるからだ。「ちゃんと手順を踏め」そう思っているだけだ。それについては、前述の編集長通信に書いた。その一点を態度として表すために行っていると言っても過言ではない。

 

 でもやっぱり、迷いはある。福島の方がこの番組で感じるような想いに対して、返す言葉がないからだ。「どうしてそういう人たちを片っ端から注意しないのか」と俺に聞くひともあった。確かにそうだなと思った。もっともだと思う。一方で、そういうひとを片っ端から現場で注意している自分を想像すると、それはそれで、わけがわからなくなってしまう。一体、何をしに行くのか。デモの中にいる自分と意見の合わない、極端だと思うヤツを注意するために、俺は参加しているわけではない。排除する立場でもない。でも、そう居直って反論するのも違うと感じる。現に、俺は現場でそういう、意見の違う人たちの言葉でギューっと胸が苦しくなったり、イラっとしているのも事実だから。「そんなこというなや」と呟いたことはあっても、それを誰かに直接意見したことは、ないから。

 

 東京には1300万人くらいの人間が住んでいる。デモに参加している人は、全盛期で15万人くらいだったろうか。それでも約1パーセント。現在は夏の暑さも手伝ってか、1万5千人くらいだろうか。詳しい人数は知らない。それでも1〜0.1パーセントくらいのものだろう。はっきりと、マイノリティ。それは官邸前から帰る丸ノ内線でも、どんな路線の地下鉄でも、例えば表参道の駅や東京駅でも感じた。デモとは関係ないひとのほうが、そこには沢山いた。その度に、無力感というか、本当はこっちと向き合わないといけないなとも思った。そこにゴロっとある東京の日常に。デモを面倒くさそうに眺めながら帰路につく、霞ヶ関付近の人たちの視線にも。

 

 どこかの映画監督が言うように、俺たちは(というか、俺は)、分別や思いやりのない阿呆なんだろうか。自己陶酔した馬鹿野郎なんだろうか。

 

 そう思われてしまうことも、仕方のないことかもしれない。事故の前まで、少しも注意を払ってこなかった、知っていても行動することはなかったのだから、確かに何を今更ということなのかもしれない。でも、俺は、そういう自分の都合の良さへの逡巡と後悔や、様々な迷いを抱えたままでも、あの東京駅の表参道駅の雑踏の中に何食わぬ顔で戻って行くわけにはいかない。だって、知ってしまったし、起こってしまったことだから。だから俺は、どこかで、身体を使って、意見を表明したい。誰のためではなくて、俺がそう思っているから。代弁ではなくて、自分の弁として。

 

 誰かによく思われるためにデモに参加しているわけではないので、それはつまるところ、俺は馬鹿だと言われても構わない。ミュージシャンなのに熱くなっちゃって、とか言われることを覚悟してやっている。

 

 だけれども、そう言う活動を観て、誰かが傷つくことだけに対しては、どうしようもない、言葉に上手くできない感情を持っていて...。申し訳ないとしかいいようがないです...。それについては、耳を傾け続けようと思っています。The Future Timesのコネクティング・ザ・ドッツ(1号1.5号2号3号箭内さんとの対談)という記事で福島の方々のインタビューをするのですら、自分の口から原発の話を振ることへの躊躇が毎度あるのだけど...。どのタイミングで、部外からやってきた俺が聞けばいいのか...、毎度、迷います。厚かましいな俺、と思いながら、記事を作っています。

 

 上手に書けないな。上手に書くことが目的でもないし、自己弁護がしたいわけでないのだけど...。こういうモヤモヤは消えない。ずっと。

 

 ひとつだけ最後に告白すれば、こんなこと言うのはダサいかもだけど、俺、デモに行くの怖いよ。刺されたり絡まれたりしないか、とっても怖い。殴られたりするかもな、とか、思う。会ってもないのに俺のこと嫌いなヤツが世の中にはいるし、メンタルを病んでいるのか「殺すぞ」とか掲示板に投稿があったりするからね。仕事の現場に変わったひとがたずねてくることもあるし。そら、どこに居るなんて明かすの、普通に怖い。そういう小心者な悩みも、俺にはある。笑ってしまうでしょう?

 

 自分のやっていることに対する迷いや、そもそもどうなのか?という問いはいつもある。でも、今は、やれることを精一杯やりたい。そう思う。10月4日(というか5日未明)

 

 

2012-10-04 1349301780
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