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もの凄く急いでいた。取材があったからだ。だから、サクっとランチを取りたくてカレースタンドに入った。最近は肉よりも野菜と魚を中心に摂取することを心掛けているので、店外に掲示された野菜たっぷりのポスターが魅力的だったことも、そのカレースタンドを選んだひとつの理由でもあった。席に着くなり、一番スタンダードだと思わしきカレーを注文した。
普通のカレースタンドの場合、即座に白飯をよそいそこにカレールーを流しかけて些細なトッピングを施して終了。俺は飲み込むようにカレーライスを食って移動、という話になったのだと思う。だが、その店の店主はゆっくりと個人用の鍋でカレールーを煮詰めはじめた。手際はかなり良くて、普通ならば何とも思わないというかむしろ結構このカレースタンド当たりじゃないのなどど期待が膨らむポイントではあるのだけど、何しろ俺は急いでいた。うわぁマジ遅刻、と思った。そして、そのカレーライスが目の前に置かれたときには、あと5分でこの店を出ないと完全に間に合わないという状況だった。もう、一気にかき込むしかなかった。
超熱々だった。カレーライスは鉄のフライパンのような器に盛られ、グツグツとマグマのようだった。石焼ユッケビビンバの底面よろしく、ご飯もお焦げに変貌しようとしていた。あー、と思った。感嘆が言葉にならなかった。急いで手に取ったスプーンがスコップを模した形だったことは、本来ならばこの日記では過剰に食いついて妄想が炸裂、読んでいる方々が苦笑する方向へと突き進むのだけど、俺には時間がなかった。よく見れば店員たちが川口浩探検隊のようなアウトトア大好きみたいな格好をしていたこともスルーして、その熱々のカレーライスをなんとか食った。前歯の裏の、上顎っていうの?の歯茎を負傷した。
ここで俺が痛感させられたのが、熱々って別に嬉しくないということだった。フランス料理の生温さを揶揄するような口ぶりの人を昔観たような気がする。それはそれで、言ってることが分からんでもないが、基本的にそんなことをフランス料理に対して言うヤツが間違っている。五月蝿い!と一喝してかまわない。だけども、五月蝿い!と逆に一喝されて涙目、トボトボと商店街を歩いて帰ることになっても、この日本に蔓延る熱々信仰みたいなものはなんなんだろう、と言いたい。俺は猫舌ではないけれど、スタバの珈琲ですらしばらくは飲めないたちなので、食べ物をそんなに熱せられても困ると日々思っている。案外、同じことを思っている人は多いと思うのだけど、熱々の赤出し味噌汁、熱々のラーメン、熱々の珈琲、熱々のプーアル茶、熱々の熱燗、熱々のカップル、などが跋扈している。猫でなくても困る。違うだろうか。俺は過剰な熱々、熱々ブームが来ないことを祈っている。
リハーサル2日目は順調に終了。
今回のリハーサルは太陽光発電と蓄電池で楽器の電源を賄っています。予算の関係で全ての電源をそういった技術で賄うことはできないけれど、会場で鳴らす音は太陽光発電を蓄電した電源によって増幅されます。音も普通の電源より良いのではないだろうかというのが、楽器スタッフチームの感想。今のところ順調に動作しています。大きなイデオロギーは抜きにしても、こうして自分たちの生業の、「現場」と呼べる場所から取り組むことに意義があると思うので、続けます。賛成/反対の意見を交わすことも大事で、そういうことを長らく避けてきたことが生み出した困難がそこらじゅうに転がっています。俺はまあ、人がどう、アイツがこう、だとかではなくて出来ることをやりたい。なので、少しずつでも、こういうところから変えていけたらと思っています。9月29日。