ふさわしい場所
カテゴリ:日記

 

 神戸にて北村明子さんの舞台『To Belong』を観、トークセッションに参加してきた。

 

 

 北村さんとの出会いは2011年の1月。出会いと言っても挨拶はしておらず一方的に北村さんと今回の『To Belong』にも参加されたインドネシア人ダンサー・ミロトさんのパフォーマンスを拝見、それを日記に書いた(『コンテンポラリーダンスと聖地巡礼』 )ところツイッターで北村さんがリアクションして下さって言葉を交わす、というところからはじまった。鎌倉でのふたりのパフォーマンスはそれぞれルーツの違う所作がくっきりとしていて、それは体躯にも現れているように感じ、北村さんがバチッ、バチッっと手のひらを身体に打ち付ける音を未だに俺が覚えているように、そういう打撃音が象徴するような緊張というか相容れなさが際立っていた。それでもどこか、どうしようもなく繋がってしまっている水脈のようなものを感じずにはいられなくて、そういう感想を日記に書いた。その鎌倉でのパフォーマンスをもとに創作されていったのが今回の『To Belong』という映像と音楽とダンスの舞台で、俺はその最初の萌芽に立ち合ったということを理由に、知識もないのに今回の舞台のトークセッションに呼んでいただいたのだった。

 

 ミロトさんと北村さんの対話のような言語だけが一方通行しているように見えるが何か通じ合っているような雰囲気のセッション。そして、Slamet Gundonoというインドネシア人ミュージシャンの語り、話しているうちに極まって歌ってしまうブルースのような、そういう映像からはじまって、演目は進んでいった。冒頭から「ダンス」と一言で言ってはいけない舞台なのだと直感した。そして、あ、新しい何か感触のようなものに出会うんだろなーと予感してワクワクした。

 

 リアントさんのミロトさんとは少し違う所作は明らかに僕らの知らないエスニックを表出させていて、腰の奥のほうにググっと重心がおかれているように感じ、それでいて腕から手の平にかけての動きがしなやかで柔らかく、一緒にパフォーマンスを行っていた今津さんのちょっと固めの、剛というようなゴリっとした体躯、動き、そういうものとの対比が面白かった。今津さんはもしかしらた必要以上に固さを演出してコミカルさをそこにまぶしていたのかもしれない。だから、殿様ではなくて位の高くない日本の侍のような、そういう雰囲気があった。それはリアントさんのほとんど全てと異なるものだった。そこに西山さん(名前が合ってるか不安ですが)が現れ、これまた違う文脈の動き方、リアントさんとも今津さんとも違う道程でここに辿り着いたことが分かる所作(バレエとか?)、それがインドネシアと日本に挟まれて、「お前だれやねん」的な、黒船的な、いや、UFO的な異物感がして面白かった。そして、そういう、それぞれのルーツや歩みの違いが絡み合って、解け合ってしまわないのだけど、それぞれが個であるままに融和していく、混ざり合っていく、ひとつの塊になっていくようで面白かった。素晴らしいステージだった。

 

 それから、三東さんの動きが好きだと思った。キレキレだな、と門外漢の言葉で思った。ちょっと身体にさわってみたいと、エロス的な想いもないことはないが、スケベ心からではなく思った。どうなったらどうなるのか全く分からないが、人の身体はこんなにもわけの分からん、それでいて美しい造形を表すことができる、そこで留まっておけるのだと感心した。最初のほうのソロパートはブワーっと毛穴が収縮した。

 

 ミロトさんはもうなんというか、別っていうか、ゴーイングマイウェイってあえて言わんでも骨を通り越して骨髄、そこで作られる血にまでミロトという名前が書いてあるような動きで、見惚れた。

 

 終演後は、有名進学予備校に猿が居る、というような違和感を観客が感じている中で北村さん、司会の土谷さんとトークセッションを行った。俺はいつもの脱線癖をいかんなく発揮して大相撲と力士の体格、アイヌの音楽あるある、自分のやっていることがなんだか根無し草であるような感覚、など思いつくままに垂れ流して迷惑をかけなかったか、失礼なことを言わなかったか、今になってとても不安だ。関係者の皆様、もしそうだったらお詫びします。

 

 しかし、素晴らしいステージだった。インドネシアで録音された音源をサンプリングして組上げられた電子音楽が良かった。西洋的なモチーフよりもインドネシアの楽器が鳴るパートが好きだった。これをまとめあげた北村さん及びスタッフのエネルギー、それには感嘆するしかない。あの鎌倉の断絶と邂逅が、このように組み直される。ある種の布、美しい織物のように仕立てられる、その過程と結実、感動しかなかった。なにかブワっと、溢れるものがあった。ポップミュージックという畑違いの場で自分がずっと考えていること、The Future Timesの中沢さんとの対談の中で話していたこと、そういうものとの共通性を一方的に感じた。俺たちはどこから来たのか。俺たちの創ってるものはどこから来たのか。どこへ向かうのか。リージョンとは何か。そういうことを問うている。ふさわしい場所とはどこか。何か。

 

 そして、会場を後にした。蹴り込まれるようにタクシーに乗車、ひとりだったので神戸っぽいええ感じのそば飯屋でしっぽりする勇気もなくテキトーなラーメン屋でテキトーにラーメンを食い、瓶ビールを飲んでツアーのことを考えた。たとえば今日の『To Belong』だったり、京都音楽博覧会のくるりのステージだったり、練り上げられた、これぞと思われるようなステージを俺たちは出来るだろうか。北村さんや岸田君のように俺はまとめあげることが出来るだろうか、そんなことを考えていたら酒が進んで、不安になってきた。観たとこビール以外は缶チューハイしかないみたいだけど飲んだろかしらん、と思った。ラーメン屋の親父が「お前さんは何がしたいねん」という顔で俺を観ていた。困惑した。だが店主が俺を見ている理由も「あっさりか、こってりか」と聞きたかっただけだということが分かり、誤解だった。

 

 ツアーに向けて、緊張してきた。頭の天こちょにキリで穴を開け指を突っ込んでズルんとひっくり返すような、そういう、すんばらしいステージにしたい。グワグワの孤独の中で、根気よく会話しないとならない。そして、あの、俺の話をスーっと聞き流しているあの感じにめげずに、やっていく自信などないので、どうにか対話のための、交わるための文体を探さないといけない。北村さんのダンスのようにうまくいくだろうか、それは分からん。マジックディスクのツアー時に、言うても分からんなら言わんわボケカスと投げ捨てて、ボッキボキに乱れ狂った文体をなんとかしないとならない。言葉がだめなら、他の方法でやらないとならない。舞でも踊ろうか。それだと阿呆だと思われるだろうな。だからまあ、音楽で、言葉でやるしかない、俺の場合は。ヤツらが耳を貸す、言葉と、発語の仕方ってどんなだろうか。そもそも、俺はなんでこんなことで悩まないといけないんだろうか。そういうもんかバンドって。逃げられねえな、これは。成し遂げたいなら、逃げられない。そういうものか。そういう覚悟で、立つ。9月25日。

 

 

 

 

2012-09-25 1348527900
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