露出狂の詩
カテゴリ:日記

 

 テレビ番組の収録に行ってきた。地上波にはなかなか出ない、というか、なるべくなら出たくないというのがメンバー全員の同意事項なので、アジカンはあまりテレビに出ない。でも、薄い知り合いに会ったりすると音源を聴いていないからか「テレビで観てるよー」とか言われて困惑することがある。心の中では「ほとんど出ないんだけどなぁ」とか思っているんだけど、まあ、そういう印象を持っているのは先方なのであって、音源は聴いていないのだから特に述べるべき感想もないのだろうし、たまたま点けた画面に我々の新しい作品のCMなどが映るなどしたのかもしれない。それを観ての「テレビで観てるよー」かもしれない。でも、少なくともこの情報化社会で少しくらい興味を抱いていたならば「YouTubeで観たよー」「ツイッター炎上し過ぎだなー」などと言われるだろうから、「テレビで観てるよー」は「なんかバッタリ会っちゃったからこうしてヘラヘラ笑って挨拶してるけど、まあ、お前さんの音楽には全く興味ないんじゃ、この三流野郎」と、そう言われているような妄想を抱いてしまって、いつものように考えすぎなのだけど、こうやってテレビ出てガチンコで演奏してしまったのだから、こうした内容の挨拶に傷ついて枕を濡らす夜は減るのかもしれない。テレビに出たんだから。

 

 どうしてテレビに出たくないのか、という質問をよく受ける。秋元康さんにも訊かれたことがある。まあ、理由はいろいろあるけれど、端的に言えば、別にそんなに顔(実像という意味で)を売りたくないというのが大きい。私生活に支障が出る。例えば、肛門などを痛打などして病院に行った場合、やっぱりどこか恥ずかしい。普段から芸名で活動していればそういう場面で「似てるけど違う」というような回避の方法もあるけれど、こちとら実名で表現活動をしているので、そういう場合の逃げ場がない。「テレビで観てますー」などと言われながら尻に軟膏を塗られる人間の気持ちを想像してみて欲しい。無理だろ。つうか、そういう自尊心みたいな問題はまあどうにか心持ちひとつで片付くとしても、実生活で大して我々のことを好きでもないやつにヘラヘラ「あれ、アジカンの眼鏡じゃねーwww」とか言われたり、何らかの倒錯した愛情でもって自宅を探すなどする方などがいると大変に不快なんです。音楽以外の部分で名前が売れたって良いことなんてこれっぽっちもない。と、考えている。テレビに出ることって、世の中の無関心のど真ん中にホイっと放り出されるようなもので、まあ関心がない場合はソイツがどういう想いかも想像しないわけで、一方的にブサイク、メガネチビゴリラ、奇天烈の出来損ない、パンティー野郎、などという雑言のようなあだ名を付けられて石を投げつけられるのは必定、そのくらい恐ろしいことなのです。凄惨な事件の被害者の、その自宅に電話するど阿呆が世の中には存在していて、そんなヤツに俺は俺を観て欲しいという気持ちはまったくないし、関わり合いたくない。これはあくまで一例だけど、そういう一方向性な性質とメディア自体の影響力を考えてると、こりゃリスクしかねーなーと思うのです。

 

 お前らのようなある種人気商売のヤツらが何を偉そうに、と怒る人もいるかもしれない。だけども、苦手なもんは苦手だし、恐ろしいものは恐ろしいのです。テレビマンやテレビ局が怖いんじゃなくて「何を偉そうに」と顔も名前も知らんひとに怒られて、ソイツらは俺らの顔も名前も知っている、この怖さ、こんなもんは呪いでしかないと、そう考えているのです。そう、顔と名前を誰かに知られることは、冗談でもなんでもなくて、認証であるとともに呪いでもある。それが双方向ではないっていうのは、やっぱり凄い不気味なことだと思う。で、そういう場所での振る舞いを、俺らが編集できないってのも怖さのひとつ。で、まあ、音楽を演奏するんならまだしも、好きなヘリコプター、理想の嫁像、嫌いな肉の部位、など音楽と関係ないことを談笑、そういう場面をひとに観て欲しいとはやっぱり思えないわけで、そういうことが知られていくと尻に軟膏を塗られているときにも「ゴッチさん、ヘリコプター好きなんですか?」となってしまって煩わしい、だからまあ、やっぱりテレビはなるべく出たくないなと思うのです。それってラジオでも一緒じゃないかっていう意見はもっともですけど、実像を伴った場合のパンチ力を思うのです。そういうリスクと天秤にかけて、必要性を感じたりスタッフとの信頼関係の中で引き受けることもありますが。

 

 そうは言ってもお前らそんなに有名じゃねーだろ!というツッコミがあるかもしれない。それは、本当にその通りでぐうの音も出ないんだけど、このくらいの規模でも案外厄介な場面っていうのがあるんです。それ受け入れてそんな仕事してんじゃねぇの?腹をくくれやっていうお叱りのひとつもメールやツイッターで送信してやろうという方もいるかもしれませんが、いや、俺らだって作った曲が名曲過ぎて世界的に大ヒット、それが原因で、天才!ヤバい!もう金玉のシワまで見せて!とパパラッチに追いかけられるような生活になってしまうなら不快だけど状況は受け入れるし、何故ならそれは音楽が良かったってことだから仕方ないというか、天才過ぎてすみませんってヘラヘラすることも出来ようけれど、自分から進んで宣伝活動のためにテレビに出演、結果巨大な呪いを受けるだなんているのはもう阿呆の仕業でしかなくて、ここのバランスを上手に取らないと、いろんな面でズタズタになってしまうというか、絶対に病むんです、俺。文面読めば分かる通り、年中面倒くさいことばっかり考えているので。

 

 そういう認識なんです。あの、音楽室に飾ってある音楽家の肖像、くらいの感じが良い。誰もがバッハを知っているけれど、街中でバッハに会ってもバッハだとは誰も気付かないと思う。絵だし。似てるのかどうかも定かではないし。俺は動くバッハを観たことないので。なんだこの喩えは。9月18日。

 

 

2012-09-18 1347924720
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