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AIR JAM。素晴らしかった。感動した。
Kenさんから直電話で出演オファーをもらったときには嬉しさと共に戸惑いもあった。はっきりと浮くんじゃないかと、そういう心配もあった。だけども震災と原発事故から一年半、思えばずっとKenさんやトシロウさん、ラッコさん、誰よりもKOさん、そしてその周りに集うパンクスたちの行動に背中を押されるようにして、俺はオロオロしている場所から一歩二歩と踏み出して、自分なりの活動をはじめた。そういう部分で、恐れ多くも共鳴とか共振とか、そういう感覚はあったし、感謝もあった。今もある。音楽性はともかくとして(恥ずかしいことをやってるつもりは1ミクロンもないけれど)、あの場に呼ばれたことが誇らしかった。
思えば震災後、俺は俺の精神に一本筋を通したくて、パンクスのスピリットを注入したくて、ドクターマーチンを買った。ギークスでナード、つまり根暗でオタク気質の俺の心のどこからか、あるのかないのか分からんがパンクスピリットを引っ張り出さないと、俺はやっていけないと思った。言葉もメロディも枯れてしまったような精神の荒野から、俺はどうにか歩み出したくてブーツに紐を通した。死ぬまで履いてやるからなコノヤロウと、コンチクショウと、その靴で自分の尻を蹴り上げた。でも、俺は腕っ節は弱いというか端的に腕力がない。だから得意なことをやろうと思った。身体を使って、出来ることをやろうと思った。パンクとは何たるか、そんなことは簡単には言えないけれど(何故なら尊敬しているから)、俺はそれを言葉にしなくて良いと思った。スピリットは行動と肉体に宿るのだから。
会場に着いたのはRIZEが最後の曲を演奏しているあたりだった。そこからの観たアクトはどれも素晴らしかった。ブルーハーブの言葉に、ケムリのフィーリングに、東北ライブ大作戦の優しさと愛と祈りに、10feetの実直さに、心を打たれた。SLANGは素晴らしかった。ベストアクトと呼ばれるに相応しいステージだった。ブラフマン、ずっと堪えてたものが全部目からこぼれ落ちた。そしてハイスタンダード。凄いと思った。この三人が集うことが、全くもって簡単なことではないことは、空白の10余年が証明している。もちろん大きな影響を残していたけれど、ゼロ年代にハイスタはいなかった。バンドの歩みが止まるということは、外野が想像するよりも重たいものだし、それをもう一度動かすことの葛藤や苦悩は大変なものだったと思う。そういう感情が片付いていない部分だってあるかもしれない。でも、ハイスタは皆の想いを受け止めて、決して傷ひとつないような身体ではないのに、笑顔でステージに立ってくれた。それだけでもう、言葉にならない。素晴らしいとしか言いようがない。
もういい加減、たったひとりの、ひとつの英雄や英雄たちに求めて、全てをおっ被せるのやめたい。やめなきゃ。AIR JAMから持ってかえったものを、それぞれの現場で形にすること、肉体化させること、考えること、行動すること、DIYってそういうことだろ。パンクスピリットってそういうことだろ。俺はそう思う。ハイスタじゃなくて、俺ら一人ひとりがやらないといけない。そういう少しずつの何かが、それぞれの前進が、AIR JAMっていう、ハイスタンダートっていう、そういうシンボルに象徴されること、結果そうなること、それでこそだと思う。自分の場所で、それぞれが誇りを持って、意思を受け継がなくちゃ。そうでなきゃ、またAIR JAMやってくれだなんて言えない。とっても言えない。次会うときは、ただ貰うだけじゃ嫌だなと思う。感謝を何らかの形に変えて返したい。俺はそう思う。
そう思いながら、客席でハイスタンダードを観た。ステージ袖にはとても行けなかった。AIR JAMの歴史を思った。そして、また観たいと思った。ひとりの観客として、そう、強く思った。