2003年 | 2004年 | 2005年 |
2006年 | 2007年 | 2008年 |
2009年 | 2010年 | 2011年 |
2012年 | 2013年 | 2014年 |
2015年 | 2016年 | 2017年 |
アイヌの聖地白老(シラオイ)で行われたTOBIU CANPに参加してきた。森の中、ハンドメイドで行われるロックではなくアートのフェスティバルで、深夜には焚火を囲んでウポポ大合唱といわれるアイヌの歌を歌い踊るイベントがあって大変面白い。安東ウメ子さんのアルバム『ウポポ サンケ』というアルバムに感動し丁度アイヌ民族について興味を持った頃、ツイッターなる己の心持ちを全世界に向けて吐露、金言至言、罵詈雑言、猥談、雑談、怪談の類を広く一般に流布などするソーシャルネットワークサービスによって俺のそういった興味が主催者に届き、去年から参加させてもらっている(去年の日記参照)。そしていろいろ考える機会にもなっている。
例えば、アイヌ民族の歴史について、音楽という裏門のような場所(俺にとっては正門だけど)から入ってしまったけれど、愛読している平凡社の「日本残酷物語」の4巻を読み返したり、その他の書籍を読んで成り立ちについて学ぼうと思ったのは、このフェスティバルに参加したのがきっかけだ。読めば読むほど、所謂「和人」だった頃の我々の先祖がアイヌ民族との交易の中で行った非道、その後、近代国家として日本が形作られていくときに行われた政策や庶民間での仕打ちなど、はっきり言えば俺はこういう場所に来てどういう顔で歌った良いのか、日が近づくにつれて分らなくなってしまった。昨年もとても親切に接してくれたアイヌ民族をルーツに持つ友人知人たちにも、申し訳ないという気持ちもあるし、俺が申し訳ないと思ってもお門違いなくらいスケールの大きな問題でもあるし、同じ日本国民であるという同胞意識もあるし、そもそもこういう何とも言えない気持ちを抱くことが己の中で差別や区別という感覚を孕んでいるのではないかという疑心もあるし(もちろん、そんなつもりはない)、とにかくいろいろゴッチャゴチャになって、序盤はどんな顔で歌えば良いのか分らなかった。観客のほとんどは純粋に「音楽」を楽しみに来ているわけだし、堅苦しい話をして何になるとも思った。結果、そのグワグワをそのまま話した。かなり脱線して迷路に突入したけれど、近くを通ったトラック運転手のクラクションによって救われた。参加してくれた皆様、ありがとう。
日本が現在の日本であることは自明ではない。そんなことは当たり前のことで、俺は俺の民族的なルーツを実際には知らない。この極東の島国にどの時期に住みついた民族の末裔か、知らない。朝鮮半島やユーラシア大陸から辿り着いた比較的新しい部族(つっても有史以後っていうタイムスパンね)なのか、あるいは、有史以前、まだ農耕が定着する前に住みついて狩猟採集を行っていた部族か、海のルートで沖縄やポリネシアの方から流れ着いた部族なのかもしれない。あるいはその全てが長い年月をかけて混ざり合い、どれがルーツとも言い難いほど混じり合ってハイブリット化されているかもしれない。「日本国民」は容易に想像できるけれど、「日本民族」というような一語でまとめられるようなイメージを持つのは、とても難しい。はっきり言えば、幻想だと思っている。
アイヌ民族は書き言葉を持たなかったと言われている。すべては口述で継承されてきた。僕らのような一般庶民が字の読み書きができるようになったのも本当に最近の話で、口述で伝え繋いで来た文化や技術っていうのは案外多い。具体的ではないけれど、幹として存在している、とも思う。枝葉は時代で変わる。大陽の向きに合わせて。それはコミュニティが担保し途絶えないように育んできたのだと思う。トランスフォームを重ねながら。だからコミュミティをぶっ壊してはいけない。字を書き読めるようになったからといって、全てを書き残せてゆけると勘違いして地域のコミュニティや人と人の繋がりをぶっ壊していってはならない。なぜならば、そちらのほうが歴史が古いからだ。国家の名前が変わっても、流れ続けるものだからだ。そこで生まれたものが自由に世界中と飛び回るようになっても、地面や土と、それら一切が接続していることを忘れてはいけないとも思う。静岡県でアフリカ民謡が鳴らされることはあっても、生まれることは絶対にない。
ということを、もっと勉強しなければならない。俺は俺の住んでいるこの国のことを、根源的なルーツを学ばないといけない。能や歌舞伎を観て「懐かしいなぁ、なんか説明つかないけど、血みたいなところに響くねぇ」と思わないことが怖い。切り離されてしまっている。のだと思う。あー、これはいよいよ日本人というか、この島国の歴史と切り離されてしまうと、そういう危機感がある。スーツやボタンシャツを着ていることも当たり前のようになっているけれど、それもここ100年くらいの話だろう。そういうスパンでものを考えても良いじゃないかと思う。ナショナリズムではなくて、地面から涌き上がる、語り継いで来た、命として繋いで来た、そういう文化や風習について目を向けてみるのも、というかそれこそ、本当の愛国なのではないかとも思う。そういった考えは「国家」という概念を超えてしまうので、俺のような表現一般を生業にする人間が「左翼的」にみえてしまうのはこういうところから来るのだと思う。俺は自分の暮らす国を、この土地にある文化を、自分が死ぬまでにもっと好きになりたい。そう思っている。
まだまだ知らないことが沢山ある。そういうことは、端的に俺が生きることそのものでもあるので、あー、どこまでも知りてぇなぁ、勉強してぇなぁ、とか、30代を折り返してまた強く思った。9月15日。
以下、イベントの写真。
狂気のような歌唱スタイルの女性SSWも参加していた。彼女が訴えかけたいものが何なのかは知らないが、パンチのある歌詞で面白かった。その他、地元の若者のバンドがスカパンクなどを行っていて、もちろんスカパンクは日本発祥の音楽ではないので、そういう音楽がどうやってこの地に辿り着くようになったのか、彼らはなぜ英語で歌うのか、考えたりした。フェスなのだから楽しめよという意見もあるだろうが、何しろサマーソニックに詩集を持って出掛け、家族にその態度を罵倒されるような性分の俺なので、ここはそっと流して欲しい。
マレウレウとOKIさん。素晴らしかった。アルバムが発売中なので、是非聴いてみてください。来年は「123456 baby」という曲をアイヌ語の数の数え方で歌いたいと思った。もともと、そういうことを目的にして作った曲なので。韓国語で、広東語で、インドネシア後で、日本語でも、なんかチャンポンみたいな言語感で歌うために、国境も県境もいろいろな境目を飛び越えて共有するために、そんな願いの曲でもあるので。ベイベー。