カテゴリ:日記

 

 鰻(ニホンウナギ)が準絶滅危惧種に指定されるらしい。存続基盤が弱い種であると認定されるということだ。直ぐさまに絶滅することはないかもだけど結構ヤバいよねー、という種の中に入ってしまうのだ、我々のご馳走である鰻が。

 

 確かに、昔に比べて格段に鰻にありつく頻度が上がったように思う。高級鰻蒲焼店に足繁く通っているわけではなくて、庶民派の割烹、居酒屋チェーンなどでも鰻の一本寿司、鰻の卵でとじたん、シェフの気まぐれ鰻料理、などに調理、安価で提供されるようになった印象がある。中国や台湾からの輸入が増えたという向きもあるかもしれないので、一概にそれをもって鰻が安くなったので食べ過ぎてしまったのだ、よって個体数の減少だ、と手前勝手に断定するのは浅はか極まりないのかもしれない。だけどもまあ、昨今の低価格化とは関係なく、実際に食べちゃったんだろうなー、食べ過ぎちゃったってことはつまり乱獲が原因だろうなー、とか想像して、胃がキリキリと痛い。だってそうじゃないか。もし仮に、このまま鰻の稚魚、成魚などを穫りまくるなどして完食してしまったどうだろう。こんなに恥ずかしいことはない。例えば、孫に「おじいちゃん、なんで鰻って絶滅したの?」と聞かれたらどうだろう。「うん?あ、あのね、食べちゃったんだぁ、全部」これはもう軽蔑されるだろう。「完食?」と子供が絶対にしないような厳しい視線を浴びるかもしれない。入歯を念入りにポリデントで洗浄したところで無駄というものだ。

 

 そういえば、今年の夏、どこぞの鰻屋が土用の丑の日に店を閉め、その日に仕入れた鰻を河に放している店主のニュースを観た。なんでも昨今の鰻の減少には危機感を覚えているとのことだった。店主が河に放すことによって天然の鰻が増え、稚魚が増えることを期待しているという。なんという男だと思った。感動で泣き崩れたい、と思った。ほとんど狂気、変人と認定する人もいるかもしれないが、それは間違っている。この店主は鰻を真っ当に食べること、食べ続けることができる未来へ向けて鰻を放ったのだ。それを書き入れ時に行ったのだ。なんと気高い行為か。素晴らしいと思った。

 

 岩手の林業組合の方が俺に言った「この木は成長が早いんです」。俺はほう、と頷いて「何年くらいで伐採できるんですかー」とライトに問うた。笑顔で彼は「40年です!」と即答した。凄いな、全然簡単じゃないぜ、40年。それを早いと言ってのけるタイム感で仕事をしているっていうことだ。それが自然と付き合う仕事としては「早い」っていう時間感覚であると、鈍器で後頭部を打ち付けられ、目玉だけ3メートル飛び出るくらいの衝撃だった。鰻も同様なのだろう。こういう、店主の小さな抵抗が全国規模に広がったとして、効果が出る(かもしれない)のは数十年とかいうスパンなのだろう。そういうもんを、50年で1/230に減るまで食ってしまうのだから、人間の胃袋って怖い。欲望って怖い。山をハゲ山にするくらい簡単なもんだ。簡単にやってもらいたくないけど。

 

 いつぞや友人が「鰻は自分におごるって感覚で食いに行く」と偉そうにツイートしているところを見かけたことがある。そういう稀にしか食えない、高級なものなのだという意味だという。なるほどな、とも思った。なんか、Tシャツにビーサンとかで食いに行っちゃいけないのかなぁみたいな、比喩としてだけど、そういう食べ方にしようかなとも思いはじめている。鰻は鰻屋で食おうとかね。短絡的かな。でも、以前よりも感謝して食べようとは思う。絶滅させてしまってからでは遅い。うむ。

 

 でも、どうなんだろう。全部食ってしまったんだろうか。浜名湖の鰻養殖場とか、新幹線から見ると潰れているところも沢山あるよなぁと感じていたところだった。今の230倍も穫ってた頃って、どれだけ鰻を食ってたんだろうか。もう、鰻、米、鰻、鰻、米みたいな、鰻ミルフィーユみたいな食い方だったんだろうか。贅沢が過ぎるじゃないか。でも、そんなわけないよな。じゃあ、どうしてこんなに減ったのか。今でも食い過ぎているのに気付かずに来てしまったのか。謎。謎なんだけど、ここまで思い悩む俺は莫迦なのではないかと、そんなことを思った。9月14日。

2012-09-14 1347632820
©2010 Sony Music Entertainment(Japan) Inc. All rights Reserved.