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アルバム『ランドマーク』が好調だという話をケンさん(アジカンのギタリスト)がしていた。レコード会社の担当スタッフから聞いたらしい。素直に嬉しいのだけど、ちょっとひっかかるところがあって、「アルバム絶好調ですか?」というケンさんの問いにキューンF氏は「好調です」と、「絶好調ではなくて?」という重ねた問いにも「好調です」と、頑なに「絶」をつけることを拒んだという話だった。F氏は真面目で仕事熱心、物腰も柔らかく人格も品性も抜群、二場所連続で優勝すれば横綱に推薦されることが素行を理由に見送られるタイプではないので、嘘をついてはいないのだろうし、そこそこに売れている感じなのだろうと思う。まあ、俺らの顔がブスなので、仕方ない。
ただ、ツイッターや掲示板には『ランドマーク』を絶賛する声が寄せられていて嬉しい。ファンしか見ねぇような場所なんだから当たりめーだろと、そういう心ない感想をぶつけたい、ぶつかり稽古をしたい、そういう率直な感想や疑問を持った人もいるかもしれない。ただ、「良いですね」とかいう感想を本人たちに送信するのも、家事、炊事、洗濯、メールの返信などの雑務、サービス残業、ウイスキーを作るなどの接客業務、ドアの開け閉め、といった日々のなにがしの中からわざわざ我々に時間を割いてくれているわけで、そういうポジティブな行為に対してネガティブな言葉をぶつけるなんていうのは言語道断、許せない。俺は嬉しいんだから放っておいてくれ。そういうことも書いておきたいが、本当に言いたいことは「聴いてくれて、感想まで送ってくれてありがとう」ということです。そういう気持ちを歌にしました、では聴いて下さい、ASIAN KUNG-FU GENERATIONで「ありがとう」という感じには出来ないですが、感謝しています。一年半の葛藤やいろいろな感情の積み重ねを肯定されたような、許してもらえたような、そういう心持ちです。
で、あの、すっげー気になるんですけど、「スルメソングですね」って褒め言葉ですかね?
恐らく、噛めば噛むほど、つまり聴き続けることで良さが滲み出てくるというような比喩なんだろうという推測はあるんですが、そこは持ち前の考え過ぎな性分故、スルメをずーっと噛んでるヤツいたら早く飲みこめよ!って思うなーとか、炙ったのか炙っていないのかでは随分と一口目の印象が違うなーとか、それもゲソのほうなのか胴体の部分なのか、あるいは一本だけニョーンと長い触手のような生殖器のような部位だったら嫌だなー、とか、そういうことをクヨクヨ考えてしまって、こっちも制作者側なものだからいつだって作品の感想で傷つきたくない精神衛生を健康に保ちたいという想いが無意識的にあるので、スルメソングって言葉を世間一般が思っている以上にポジティブな解釈でもって受け入れてきてしまったのではないか、その実、ネット社会においてスルメソングはスラングのひとつでほぼ罵詈雑言に等しいのに俺が勘違いしているのではないか、「なんとなく嬉しいな」なんていうのは正真正銘の糠喜びなのであって、笑って石でも投げつけてよろしい、と思われている、なんていう妄想まで膨らんでしまって困っています。
大体、「スルメソングですね」と言ってくるのは若い子たちが中心で、そういう子たち(中高生)は居酒屋にはもちろん行かないだろうし、大学生だとしても、チェーンの居酒屋でスルメなどの渋いアテを注文するヤツは奇特な存在として巨峰サワー、生絞りオレンジ酎ハイ、ジンジャー柚子ハイボール、ミントの入った洒落たカクテル、などを飲む友人たちからハブられ、ホッピー中(なか)追加でー!などと場違いな注文を繰り返して完全に浮いてしまってサークルを辞めざるを得ないことは想像に難しくないわけで、そういうことを考えるとますます「スルメソング」とは何か、音楽とは何か、文学とは何か、そういう根源的な問いの深淵から抜け出せなくなってしまうので、参っています。9月13日。