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11年前の9月11日。俺はサラリーマンで、次の日の業務については特に考えもせずに夜中までサッカーゲームをやっていたことを覚えている。そしたら友人からメールがあって、テレビ点けろと、凄いことになってるぞと、何かとんでもないことが起きたらしいことは分ったのだけど、アイワのテレビデオのリモコンがなぜか見つからなかったためにゲーム専用チャンネルからアナログ放送に切り換えることができず、事態を把握することができなかった。とんでもなく汚い部屋の万年コタツの上に居心地悪そうに設置されたタンジェリンのiMacでもニュースのチェックを試みたけれど、当時は自宅に光回線なんて夢みたいな話で、電話回線を使っての接続だったために動画チェックなどできるはずもなく、その日は「明日にするわー」的なメールを送って寝た。
次の日、とりあえず毎日乗っていた6時48分の電車に普通に乗って、寝みぃなーマジで、とか思いながら満員電車を乗り継いで会社に行った。別にリモコンを探そうとも思わなかった。毎朝テレビを観る習慣はなかったし、何より毎朝起床に設定した時間と電車に飛び乗るまでの時間に余裕を持たせていなかったので、起床即歯を磨き着替えて出発というような日々だった。リモコン?知らんわって感じだった。そして、まあ、会社に行ってからチェックすればいいかと思っていた。というか、前日の晩のメールで一体何が起きたか詳細を友人に確認していなかったので、特に深刻に受け取りはしなかった。そんなことより、この満員電車をどうにかしてくれとスシ詰めの快特の車内で思っていた、かもしれない。克明に覚えていないくらい、普通の日だった。当時の俺からすれば。
そのあと、一体何で事件のあらましを知ったかはさだかではない。都合が悪いときの政治家や官僚風に言えば、記憶にございません。俺の場合は脳の記憶野のスペックが著しく低いので嘘ではない。覚えていない。多分、ネットで動画を観たような記憶がある。が、それも怪しい。ビルが崩れるところだけはよく覚えている。飛行機が突っ込んだ映像も同時に観たので、「朝方のニュース」というふうに記憶していて、それが一体何時のニュースだったかも覚えていない。もしかしたら、次の日の朝のニュースのことを取り違えて記憶しているのかもしれない。でも、なぜか、朝のニュースという印象が手前勝手にある。
で、そのあと、まあ9.11を題材にした表現が日本でもそれなりに作られたわけだけど、当時の俺は気持ち悪いなー、何で歌えんだろー、どんだけの想像力の持ち主なんだよー、というようなネガティブな感想をろくに聴きもしていないのに勝手に抱き、それを居酒屋で吐き出したり、トイレで吐瀉したり、知らんオッサンに絡んだり、ブツクサ万年コタツで呟いたり(ツイッターじゃない)、まあネット上にそういうことを書き込んだことはただの一度もないけれど、はっきりとクソだと思っていた。どうして接続できるのか意味が分らなかった。だってあれはテレビゲームみたいな映像じゃないか。どこにリアリティがあるんだ。どうやって自分のこととして感じれば良いのかわからんわ、俺は。それよりこの牢獄のような電車をなんとかしてくれ。というか、全く誰にも認めてもらえん俺の音楽をどうにか誰か知ってくれ。そういうことで一杯だった。嫉妬だったのかSHITだったのか。作られたものがクソなのではなくて、俺がクソ野郎だったのは言うまでもない。事実。
あれから、一体なんだったのか、ずっと考えている。端的にまとめられるボキャブラリーはまだない。問題の地図が大きいということも理由だけど。
あれから10年以上の月日が経って、角度も形もまったく違う困難が日本で立ち上がって、俺はそれをまともに言葉にして歌っている。きっと、俺が当時思ったように、俺の表現をクソだと思うひともいると思う。居て当然だと思う。脊椎反射みたいに綴るんじゃねーと、そう思っているひとがいるかもしれない。当時の俺がそう思っていたように。だけども、そんなものは覚悟のうえで、あれから一年と半年、今でも語るべき、歌うべき言葉を探している。ボキャブラリーがない、とは言っていられない。地図がデカいとは言っていられない。なぜならマップなんてないから。そもそも、マッピングしなおすという行為だから。そういうつもりで、綴っている。歌っている。鳴らしている。
そういう作品が店頭に届いて、誰かの耳に入る。そういうことにドキドキしている。クソだとか言われたら凹むなー、という気持ちと、まあそれでも鳴らしたい作品なのだという決意が、混ざっている。いつもは凹むってほうの割合が高いのだけど、今回は決意のほうが強い。というか、ほとんど決意だけで作った楽曲だから。まあ、表現なんてそれでこそで、今までどんだけフワっとした気持ちで人の見聞を気にしてやってんだよと、阿呆かと、そういう言葉を以前の自分にかけたいくらい。
長くなって良く分からなくなってきたけれど、世に出せて良かった。だけども出して終わりじゃなくて、現実、何もはじまっていないような印象を社会全般からは受けるわけで、それは今でも悲しいし憤っている。だけでもロックンロールだけは、その泥だらけの荒野からでも「オールライト!(大丈夫)」と鳴らすものなんだと思っている。何度でも。そういう表現だと思っている。新しいアルバム『ランドマーク』。書き直せ、地図を。9月11日。