夏の終わりの抗議デモ
カテゴリ:日記

 

 あー、あぢー、うわー、面倒くさい。そういう気持ちが全くないか、といえば、ある。だって暑いんだものとはよく言ったもので、なんかいい感じのヘタうまみたいな筆跡で色紙などに書き付けておきたいくらい真夏の抗議デモは本当に暑い。これを称して「お祭り騒ぎ」などと揶揄するひともいるらしいけれど、はっきり言って冗談ではなくて、これが祭りだったらとんでもないマゾヒストの変態集団ということになってしまって、なんだかさらに莫迦にされたような気がしてムカッ腹が立ってきたけれど、出店もなければ、近くにコンビニもない、神輿も担がせてもらえない。そういうものです、抗議のデモ活動というのは。

 

 かと言って、日本の未来を憂う聖人の集いというわけでもなくて、「何を言ってるんだろうかこの人は」というスピーチもたまにはあるし、根っこのところで脱原発化された社会を希求しているわけだけれども、お前さんのその格好は一体どういうわけだと小一時間問いつめたいような輩も見かけたことがある。おてもやん、のような格好をしている変なオッサンも主催者発表で10万人と言われた頃には見かけたりした。その風景だけを切りとれば、脱原発デモにおてもやんとは何事だ、不謹慎だ、阿呆なのか、という雑言はむしろ積極的にかけるべきだと思ってしまうかもしれない。ただ、10万人規模の都市へ旅行に行ったとして、たった独りのオッサンがおてもやん、この場合、熊本弁で「やん」は「さん」にあたるそうなので「おても」さんの格好をした変態ジジイが「我が町にようこそ」と現れてもこの町丸ごとおてもやんなんだとは思わないのは当たり前であって、なんか嫌だなと思ってしまうことは否定しないが、少なくとも、その印象を全体に適用すんのはおかしいんじゃないかっていう、おーい!俺の思考よ脇道にそれることなかれー!的なバイアス(偏見)の修正を脳内で自動的に起こせよ、時には起こせよムーブメント!と反論したい。

 

 だけども、とりあえず、デモっていうのは俺たち30代以下の若者たちは行ったこともやったこともなかったわけで(なんらかの組合とか団体のものっていう意識があったと思う)、初めて行った海外旅行が名も知らない南国の絶島みたいな、どうせみんな原住民でしょ未開でしょ、あーきたほら、おてもやん。やっぱりこの国はみんなおてもやんだわ。おてもやんの集い。であれだろう、帰ったらネットに向かってあることないことおてもやん情報を垂れ流し、ツイートリツイート非道の限りを尽くして情報を撹乱、夜には密造された現地ならではの酒で乾杯して我々を最終的には食べるのだ。首刈り族の類だ。けしからん。というような、そういう過剰なレッテルが貼られているのだと思う。比喩として。

 

 

 みんな意見が同じであるというのは、ある目的のために意識がひとつの原理に基づいているが身体は別々に動くクローンの群れくらいのサイエンスフィクション感があるのは自明なのに、他人のこととなると、なにかひとつにまとめたがる。一緒にしないで!巨乳ってひとくくりにしないで!というような、田嶋先生にケツの毛までむしられそうな、記号化されたイメージでまとめられたら誰だって嫌なのに、他人のことはまとめたがる。で、「デモには共感できない」などと言う。これは、おてもやんの格好をしてきてしまうことと同じくらい阿呆だと思う。ただ、おてもやんのオッサンがとんでもなく崇高な理念に基づいてあのような格好で抗議に参加している可能性もまったくゼロではないこと、それは多分ないけど、一応ここに書いておく。

 

 で、「デモに共感」うんぬん。それは、俺に謝って欲しい。俺は決して全体性に共感して参加しているのでない。主催者の皆さんが用意してくれているのは「場」なのであって、共感するためのなにかではない、俺にとっては。その場に、俺の信念に基づいて、誰かに共感するためではなく、大飯原発の再稼働に対する説明不足と手順の性急さについて、原子力規制委員会の人事案および国会同意人事案なのに特例で首相が任命するというプロセスについて、こういうやり方で安全に原子力エネルギーを運転運営していくことが出来るのかという疑問を持つのは当たり前のことで、脱原発の議論以前に、「使う」という立場に立ったとしても大問題ではないか!と抗議したい、そういう感情によるものであって、件のおてもやんにも、まわりで一緒に抗議している人たちにも共感してこの「場」にいるわけではない。と、大きい声で言いたい。いや、小さい声でもいい。とにかく言いたい。

 

 自分の意志が大切なのだと思っている。俺の意見を決めるのは俺で、その責任を負うのも俺だ。俺がデモに参加したってことで傷つくようなひとがいたら、謝る。すまない。誰かを傷つけるためにこういう抗議に参加しているわけではないので、理解して欲しい。もちろん学んだり、話し合ったりもする。それは喧嘩ではない。対立ではない。そうやって敵と味方に別れている場合ではない。これが敵と味方という分類だから成立している話のように見えるけれど、国民を巨乳とブラジャーの2組に分ける、となったらもう意味が分らない。その意味のわからなさと本質的には同じことをしている、そういう不毛な2組への分類をしていることに気付かないといけない。オンでもオフでもない。そもそもスイッチみたいな原理ではない。そういうなかで、ベストではなくてベターがあるんじゃないかと、そういうことをおてもやんの彼に出て行けと言わずに、いや、ちょっとあっちの木陰で休んでおいて下さい誤解されるからとおてもやんに伝えるとは思うけど、そうやっていくしかない。そういうことです。すっごいまどろっこしい言いかたしたけど。

 

 共感したから支持をして、なんか共感できなくなったらかお前が悪いってのは、おかしい。なんなんだ共感って。阿呆か。お前が勝手にひとの意見に共感しておいて、後から失望しただなんて、なんだ、と。そうやっていつでもひとのせいにしてやってはいけない。委ねて責任を回避してはいけない。だから俺は、暑いしめんどくせーし、もう帰りたいしビールのみたいけどこのあと仕事だから無理だなー、とか、ちょっとだけ思いながら、官邸前の路上で、俺の信念に基づいて抗議する。それは、責任だ。自分の子供とか孫とかの世代に、押し付けてはいけないものがあるという俺の意見だ。

 

 誰の責任でもなく俺の責任で、俺の意見だ。だから、お前は間違ってる!と俺に言うのは、間違いではない。それがあなたの意見ならば。話し合おう、おてもやんの格好で。9月7日。

 

 

2012-09-07 1346987040
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