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8月6日が来れば思い出す。目を瞑り、祈りを捧げる。静かに。
前回のツアー時、丹下健三設計の原爆死没者追悼平和祈念館に行った。原子爆弾の被害者と同じ数のタイルに圧倒され、沈黙するしかなかった。言葉が出てこなかった。私だけしかいないホールには、静かに水の音だけが響いていた。
静かな祈りの後に、現在の日本をことを考えた。日本というおおげさな物言いではなくて、自分の暮らしている社会について、現在自分が抱えている困難や不安について考えたというほうが言い得ているのかもしれない。
アトモス・フォー・ピース。核の平和利用は可能なのだろうか。原子力発電は、原子爆弾を作るための技術を転用している。
福島と広島と長崎、それぞれの街のそれぞれの出来事を乱暴に等式で結ぶことはできない。そうやって単純化するわけにはいかない。けれども、広島と長崎から、そもそも第二次世界大戦から、私たちは何を学んできたのか、そういう疑問はある。そして、今回の過酷事故を受けて、気付かなければならないことがあるのではないか。
そういうことを考えている。考え続けている。
反核、NO NUKES、脱原発、反原発、どんな言葉でも良いけれど、そんなに簡単なキャッチフレーズでは言い表せない。旗印にはなるかもしれないけれど、核心にはさわれない言葉だと思う。それを無神経にも私は使ったりするわけなのだけど、その無神経さに対して逡巡がないわけではなくて、いつでもENTERボタンを押すのに時間がかかる。袖を通すのに覚悟がいる。
アトモス・フォー・ピースを完遂できるほど、人類は偉大だろうか。
世界中で、人々は何のために争い続けているのだろうか。
そしてそんなことを偉そうに言えるほど、私は正しいだろうか。とんでもないクソヤローかもしれない。清廉潔白だなんて、とても言えない。
それでも、誰かが同じことで苦しむのを見るのは、もう沢山だ。
いよいよ、「私」なんていう一人称は使っていられない。俺はその一点において、誠実でありたい。誰かに石を投げつけられても、鈍くて醜い言葉で揶揄されようとも、人工の神を、野蛮な炎を拒み続けたい。