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陸前高田第一中学校での炊き出しの模様。
この日もラコスバーガーの炊き出しに帯同。「私の町にはなんでこないの?」という皆さんには申し訳ない。私には単独で炊き出しを行う能力がないので、こうしてラッコさんの炊き出しに同行してお手伝いをさせてもらっています。
段々と、「歌いに来て欲しい」という場所も増えていますので、これから徐々に、いろいろな場所で歌いたいと思います。
中学校のグラウンドには、このように仮設住宅が設置されていました。
この日は仮設住宅から校舎を挟んで反対側、体育館前の駐車場にて、パンを切る係からスタート。肉を焼いたり、ポテトを揚げたりといった調理以外の仕事は大体覚えました。ハンバーガーを包む作業が自分の上達具合が進むにつれて楽しかったです。高校生の頃に少しだけハンバーガー屋でバイトしていたのですが、そのときは雑務中心でハンバーガーに触れることすら許されていなかったので、そのときの残念な記憶(最終的にクビ)に復讐することができました。
完成したハンバーガーを体育館に避難している皆さんに配布。一軒一軒まわって手渡し。
この日は体育館のステージで歌わせてもらうことになりました。ステージから見える風景はこんな感じです。ちょうど皆さんの昼食タイムに突入ということで、ご飯を食べている前で演奏させて頂きました。
会場にはボランティアスタッフ用のマイクが一本しかなかったので、そのマイクをギターと口の間に立てて演奏。どちらも音を拾うように自分で姿勢を調整しながら歌うことが難しかった。が、精一杯歌った。シャツの中は大粒の汗でグッショリと濡れていた。緊張していたのだと思う。音楽をはじめた頃は私のことを知っているひとは誰もいなかった。それでも歌いたかったので、曲を作って歌った。そんな時間の積み重ねを思い出しました。誰にも知られていなくても、自分が曲に詰めたフィーリングが届けば良いのだと思いました。それで良いのだと。私が何者であるかは、演奏や楽曲の良し悪しにはっきりと関係ない。それは今後、どのステージに出ても同じことだし、もともと関係のないことだと、痛感した。音楽と心が繋がるような想いでした。良い演奏が出来た。
即席、小規模サイン会。「息子がファンなのよ〜」という方も。「ここに書いていいのですか?」と恐縮しなががら、マクラなどにもサインしました。
入り口付近にいた皆さんと握手。「頑張って!」と言われて、逆にこちらが元気をもらいました。とくにこれといって、曲を作って歌うことしか得意なことがない私ですが、こうして少しでも喜んでもらえたら嬉しいです。ありがとうございました。紅白歌合戦を目指してみようかと一瞬、思いました。
後編に続く。
撮影:菊池茂夫