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ニューヨークタイムスのサイトでは、日本のメディアが紹介しないような写真が掲載されている。これを慎みのない行為だと思うひともいるでしょう。ずけずけと踏み入っているようにも見えるかもしれない。それでも、恐らくこの写真たちがなければ知ることの出来なかったいろいろな感情や風景を直視することも、とても大切なことなのではないかと思う。もちろん、直接ファインダーを覗き込んだわけでもなければ現場に行ったわけでもない。だから「分かった」ような気分になってはいけない。自分の「想像力」というものがいかに足りていないのか、そういう自戒は常に必要なのだと、自分に問いかけている。
まだ、たまに揺れているような錯覚に捕われている自分が不思議だ。小さな家具の揺れにも過敏になっている。
水道水を使うときに少し緊張する。
毎朝7時に送られてくるJRの運行情報メールを目覚まし代わりに起床している。
CDやレコードをプレイヤーにセットしていないが、昨夜USTでいろいろなひとの音楽を聴いて、少しほっとした。。
冗談は聞いてくれるひとさえ居れば、言い続けている。
本はやっと読む気になった。「岡本太郎という思想」、村上春樹の「雑文集」を買った。
3/11から、遠のかないように遠のいている。これは正気を保つためだ。
普通に暮らすだけでも、何かに抗っているのだと思う。だから普通に暮らすのだと、年下のバンドマンが言っていた。「俺の日常を奪われてたまるか」と言っていた。強がりだけど、なんか良いなと思って話を聞いた。
この曲が好きだ。PCの方は是非。
今日は名古屋に行って、物販の手伝いと義援金の募集します。まったく予定されてはいなかったのですが、急遽、スタッフや会場含めてスケジュールの都合がついたので、ケンさんと参加します。
それが何の役に立つかはわからないけれど、まあ、今、やりたいことなので、やります。
後藤正文