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首都圏に暮らすということは、最早れっきとした被災であるのだと思う。だけど、圧倒的な喪失がないまま、被災地の真ん中で暮らすひとたちに対する無力感と、見えないモノに対する恐怖感だけが浮かび上がっている。
そんな中でも、「慣れよう」とか「忘れよう」というメカニズムが働く。これは精神が壊れてしまわないように、疲労しきってしまわないように、心なのか体なのか、何らかのメカニズムが作動しているのだろう。その事実に安堵することもあるけれど、慣れたり忘れたりしてしまうことについての怖さのことも考えている。
いろいろあって良いのだと思う。
「震災ってのはこういうことだ」と、記号化してしまうのが怖い。私と誰かで思ったり感じたりすること、職業も住んでいる場所も家族構成も違うのだから、というか、同じことを探す方が難しいのだから、違っていて当然なのだと思う。だから「世間一般」と違った方法で、震災と向き合っているひとや、或は逃避しているひとを責めることは不毛だと思う。そもそも「世間一般」なんてものが幻想なのだから。
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「砂の上」の感想ありがとうございます。
海外の方から「もっと上手くならんのか?」と、具体的に歌唱力の話だと思いますが、笑いました。「もっともだよな」と思いました。世界の凹凸を思って、とても安心しました。和みました。で、改めて自分で聴き直してみて、これで良かったなと思いました。いろいろなモノが、ちゃんと録れているなと思いました。
さて、少しづつ、前を向こうと思います。どっぷりと苦悩しながら、進みたいなと思います。