シリーズ観光小説 長崎編
カテゴリ:日記


※この作品はフィクションです。



 とにかく、覇気もなくダラダラと過ごしてきた。多分、中一のときにタコヤキ大のUFOと衝突して、3時間くらい記憶を失ったことが原因だと思う。俗に言うアブダクション。きっと私の身体には、この地球上にあるはずのない原子番号の金属片が埋め込まれている。だって、空港の入場ゲートでも必ず止められるようになったもの。高校の修学旅行で、私だけ羽田空港に取り残されたのは、それが原因。そして、金属片が原因で、超人的な直感力が身に付いた。その反面、何をするにしても気力が伴わなくもなった。とにかく死んだ魚のような目をして生きてきた。気付いたら二十歳になった私がここに居て、幽霊みたいに気配を消して、暇つぶしに医学部に通っている。金属片は私のへその斜め下、ちょうど南野陽子のホクロみたいな位置で「ナンノこれしき!」って感じで今日もコリコリしている。



 そんな私の日常をブチ抜いたのは、やるき茶屋という居酒屋チェーンだった。どうでも良いテニスサークルのどうでもいい飲み会に、やっぱり暇つぶしを目的に参加して、連れて行かれたのがやるき茶屋だった。「追浜のやるき茶屋に19時ね」と告げられた時点で、普段からやる気のない私はその暑苦しいネーミングに唖然として、行くかどうか迷ったのだけど、何を注文しても「ハイ!よろこんで~」と笑顔で答える店員たちは、宗教じみた雰囲気に対する不快感を軽く通り越してカルチャーショックというか、衝撃というか、はっきり言えばラヴだった。「ここで働きたい!」って私は思った。速攻で履歴書を書いた。初めて「張り」ってやつを感じた。うすら長い暇つぶしの中でだけど。



 そこで出会ったのがヤッ君。ヤスヒコとかヤスノリとかいうヤスが絡んだ名前でも何でもなくて、友達連中と行った旅行先で、民家の軒先から柿をパクって食べようみたいな悪ふざけが始まって、それがたまらなく嫌だったヤッ君は「あれは渋柿たい!」と地元の博多弁でうっかり抵抗して、それが「シブがき隊」と勘違いされて、薬丸っていうあだ名を経てヤッ君と皆から呼ばれている。全然タイプではなかったのだけど、年末の忘年会シーズンのクソ忙しい最中、注文のドサクサに紛れて「生中みっつ!枝豆ひとつ!おつまみこぼれ寿司!」



「ハイ!よろこんで~」



「それから俺と付き合ってくれ~」



「ハイ!よろこんで~」とうっかりいつものクセで答えてしまい、なんだか後には引き返せなくなって、今に至っている。





今年に入って、ヤッ君は龍馬伝にハマっていた。あれほど「福山雅治の完璧なフォルムには同じ男として嫉妬してSHITだせ」なんて言って妙な対抗心を燃やしていたのに、さん付けで呼ぶほどのファンに成り果てるまでハマっていた。そして、突然、「長崎に行くしかないぜよ」と言い出したわけなのだけど、私はいつものクセで、やっぱり「ハイ!よろこんで~」と答えてしまったのだった。







 ちなみに私は、龍馬伝なら岩崎弥太郎派だ。こういうトランペットが上手く吹けそうな顔が好みだ。偶然にも長崎に縁の深い人物ということで、ヤッ君に言われるがまま、羽田空港で3時間もコリコリについて説明する手間を惜しまずにここ長崎まで来たわけなのだけど、結果的に間違いじゃなかった。やっぱり、私の直感は凄い。



 今回の旅行で、私が絶対に行ってみたかったのは端島という現在では廃坑になった炭坑の島。軍艦島とも呼ばれている。何十年も無人の島として海に浮かんでいたため、産業廃棄物の処理場にされかかったこともあったけれど、それがきっかけで保存運動が起こって、現在では世界遺産に予備登録されるまでに至った廃墟の島。廃墟というか、日本の近代化を記した文化的な遺跡とも言える。そんな場所。









 この日は生憎の雨だったけれど、軍艦島見学ツアーに申し込んで、船で端島に向かうことにした。ヤッ君はどうしても福山雅治の実家に行くのだと言って聞かないので、「それだけはよろこべない!」と言い切って、ひとりでこのツアーへの参加を決めた。私にとっては、この端島に行くことが長崎に来た目的でもあるから、これだけは譲れなかった。



 まずは高島という、その昔には発電所などもあった島に立ち寄った。ここには、端島のミニチュアモデルや、炭坑の歴史などを学べる資料館が在る。実際に端島で生まれ育った方のガイドはとても興味深い内容で、近くに起こったチリの鉱山での事件なども連想させて、とても不思議な気分になった。こういう日本の近代エネルギー史の幹の先の枝葉の部分で私は確実に生活していて、なんだか他人事には思えなかった。ヤッ君や自分の父親が、炭坑の奥底で命を危険に曝しながら掘って掘って掘りまくって、そうやって日本の電力や産業を支えている場面を想像したら、なんだか胸が熱くなった。







 端島の炭坑は、地元の漁民が燃える石を発見したことが発端らしい。そうして始まった炭坑を岩崎弥太郎の起こした三菱が10万円で買い取って(銅像の写真は、もしかしたら10万円で買ったってことを指しているのかも。「ワシが買った!」みたいな。)、浅瀬を埋め立てることで軍艦のように見えるまでに発展したとのこと。昭和に入って最盛期を迎えて、世界一の人口密度を誇っていたというのだから驚きだ。それだけ栄えていたということだ。島の中には、映画館やパチンコや居酒屋、小中学校に保育園もあったのだから。









 関係ないけど、なんか、お腹が減ってきた。美味しそうな売店があったけれど、我慢した。









 高島を出てしばらく船に揺られていると、端島が見えてくる。本当に軍艦みたいな形をしている。このあたり一体は波が高くなることもしばしばで、上陸できるかどうかは島の側までいかないとわからないとのこと。乗っている皆の緊張感が高まってくるのが分かる。私も当然、ドキドキしていた。







 悪天候でありながら、この日の波は穏やかで、私は運良く端島に上陸することが出来た。でも、そこに広がる風景は荒涼とした廃墟そのもので、とても驚いた。資料館で見せてもらった、生き生きとした当時の風景を思わせるものは何一つ残っていなかった。そこにあるのは、過去というよりはある種、近未来的な雰囲気を感じさせる風景だった。







 ひとが居なくなってから、たった35年。世界で最も栄えた炭坑のひとつであった端島は、ボロボロに朽ち果ててしまった。この風景が示唆しているものは何だろう。そんなことをふと考えた。現代文明は化石燃料をガブ飲みして、その機能を維持している。それは50年前には一日中煌煌と輝いていた端島と重なるものがある。例えば、石油によってもたらされたドバイの繁栄し狂った風景も、原油の枯渇とともに、このように朽ち果てていく運命なのだろうか。







 と、同時に、私はこの廃墟に美しさを感じていた。損なわれて行くものの儚さに感動していた。当たり前だけれど、私も、ヤッ君も、等しくいつかはこの廃墟と同じように、或はもっと圧倒的なスピードをもって消滅する。それは形あるものの宿命だ。生命は死から逃れられない。でも、そこに普遍的な美しさを感じる。いずれ損なわれることは、誰のどんな手をもってしても損なわれないという事実。だからこそ、今こうして息を吸い、そして吐き、心臓が脈を打ち、前身で端島の風景を感じていることを愛おしく思う。「私は生きている!」そう全身が叫んでいた。ガイドの説明を聞きながら、少し泣いた。









 私は端島を後にした。遠く見える島の陰影は、軍艦そのものだった。軍艦に似た島だけではなくて、世界中の軍艦も朽ち果ててしまえば良いのになんてことも、思った。でも、こればっかりは叶わないだろうとも直感している。私たちは奪い合う生き物だ。







 船の中で、東京から来たのだというロックバンドのひとたちに声をかけられた。「写真を撮って欲しい」とのことだった。なんだか、左のメガネの男がチラチラと胸ばかりを見てきて気持ち悪かった。右側のひとは紳士的だった。このひとたちはデキていると思った。



 長崎に戻ってからはヤッ君と合流して、本場の皿うどんを食べに出掛けた。長崎散策に出掛けたヤッ君は、稲佐山で完全にスイッチが入ったらしく、私を「小雪」と呼び始めていた。もう、龍馬伝とか関係なく、ただずっと福山雅治のモノマネをしているひとみたいになっていた。ちょっと疲れたので、適当にあしらって、私は皿うどんを細麺で注文した。



「すみません!皿うどん、細麺でひとつ下さい!」



「ハイ!よろこんで~」



即座にヤッ君が福山雅治の声マネで答えた。私は、ヤッ君と別れることを決意し、眉間を狙って拳を振り下ろした。と同時に、チャリンという音と共にへその斜め下でコリコリしていた金属片が足元に転がり落ちた。彫刻刀の先だった。



暇つぶしなどしている場合ではないと思った。もっともっと深く息を吸おうと思った。もっともっと色濃く生きようと思った。そしてもう一発ヤッ君を殴った。



私は泣いていた。
2010-12-06 1291646760
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