投稿者:磯崎 泰平/18/male/東京
本文:僕が疑問を抱いたのは、Aメロの歌詞で「夕方のニュース」と歌っていて、Bメロの歌詞で「朝方のニュース」と歌っている意味が知りたいです。 何故、夕方が先に来て朝方が後に来たのでしょうか?
A.
普通に考えて、誰かが亡くなった(この場合は有名人などを差していますが)というニュース、もっと言うと葬儀などに多くのひとが参列しているようなニュースは朝方ではなくて、もっぱら夕方か夜のニュースで見かけることが多いのではないかと、そう思うのです。思うというか、そういう直感も手伝っています。また、陽が沈む「夕方」、黄昏、そこには一日の終わりとか、それに伴う何処とない寂しさ、そういう心情がベタに内包されていますね。というわけで、「夕方」。で、「朝方」については単純に、そういう状況だったということを詠っていますが(※前回の解説参照)、それだけではなくて、21世紀について、なんとなく「新しい夜明け」だと思っていたところにこの事件が起きたのだと私が感じて、それで朝なのかと考えると、「へぇ」って気がしませんか。だから、風景や時刻に関わる言葉は大概の場合、心情の比喩であることがほとんどだと思います。私の書く詩では。
で、言葉のことは置いておいて、時系列に意味があるのかというと、「ない」としか言いようがない。それぞれのブロックは連続しているわけではなくて、場面としてバラバラのものが継ぎ接ぎになっている。つまりコラージュ的に配置してあるのです。なんというか、あるテーマで物ごとを考えるときに、関連する風景がいろいろな時間の記憶から、別々に立ち上がってくるような、言いたいことや書き記したいことの核心に迫るために、記憶のいろいろな抽斗を開けているような。そんなふうに、あちらこちらにイメージが散らかっていて、それを掻き集めるような成り立ちになっている/そういうように書いているのです。そう言われると、音の配置もそういうことを意識しているように思えてくると思います。
普通に人間としてこの三次元世界に暮らしていたら、時間は不可逆なので、朝の次は昼で夕方が来て夜になるというような時間の配列を意識して当然なのですが、私が書き綴っているのは創作物です。時間が逆さまに動いていたって何ら問題はないわけです(というか、夕→朝でも夜を挟んで十分時系列として繋がっていると思うけど)。何ならお尻から食べ物を食べて、口から排泄しても良い。そういうアベコベが許されるというか、それで伝わるものがあれば良いし、もっと単純に面白ければ良い。だから何と言うか、こういう感じで歌詞について質問したくなる気持ちもわからなくはないですが、一回、脳ミソを凄腕の按摩師か美人ヨガ教室かなんかでグニャグニャにされたみたいなところをイメージしてというか、あまり言葉そのものの意味に焦点をあてないで済むように脳を溶かすか何かして、コーヒーに垂らして飲んで一息ついたあとみたいな心境で聴き直してもらえたら嬉しいなと思います。
つまり、その、ガッチガチに言葉の意味にとらわれるのではなくて、「♪箱の中身はなんだろなぁ?」みたいな、そういうことだと思います、詩って。で、その中身がいつも言葉で用意されているわけではないというか、なにしろ音楽なわけで、言葉にならないフィーリングやなんかも鳴っているので、全部を言葉とその意味で説明できたりはしないのです。出来たら嬉しいですけど。というか出来たらつまらないと思う。書いてあるままじゃないかって、それで終わってしまうのではないでしょうか。訳の分からない単語の羅列の奥にも美しい心象があったり、本当にデタラメな言葉のコラージュが新しいイメージを生んだり、逆に恐ろしく説明的で分かり易い歌詞でも、言っていることそのままで中身がカラッポだったりすることがあるのではないでしょうか。そうやって考えると、詩って面白いですよね。