青森の移動日に六ヶ所村に行ってきました。
以前に、「六ヶ所村ラプソディー」というドキュメント映画のことをこの日記に書きました。その時からずっと、青森に行った際には訪れようと心に決めていまして、偶然にも、移動日によって少しだけ時間が出来たので、その時間を利用して金澤君と出掛けました。
いやいや、しかしながら遠い。
青森から車で一時間半、海沿いを走り、林を抜け、行こうと思わなければふらっと通りかかったりはしないだろう距離感のところに六ヶ所村はありました。
もう少し、青森や八戸などから近い印象だったのですが、こうして行ってみると、結構奥まった場所にあるのだということを感じました。
まずはPRセンターに到着。
ハロウィン風の飾り付け。「○○科学技術館」といったような雰囲気ですね。おみやげも販売しています。
女性職員の来ている制服が、お洒落でビックリしました(タクシーの運転手は山本寛斎デザインだと言っていましたが、そうではないことが発覚)。
タクシーの運転手の方が事前に連絡してくれていたらしく、別室にて恐縮しながら所長直々に原子力エネルギーの再利用についての説明を受けました。
丁寧な説明で、大変にわかりやすかったです。
ありがとうございました。
その後は、約80%の大きさで再現された施設の模型を中心に、館内を案内して頂きました。
こちらも女性職員の方が丁寧に我々の疑問に答えてくれました。感謝。
展望台からは再処理施設を見渡すことができます。
大きな煙突が印象的。
青森県は風力発電も盛んだということで、六ヶ所村には沢山の風車がありました。
ちょうど夕陽が射してきて、とても美しい風景でした。この写真も展望台から。
再処理施設の正門前にも行ってみました。
安全性への考慮というのは、所長の説明でも、女性職員の説明でも、かなり説得力のあるものだったと思います。(それをPRするための施設なのですから、当然ですが)
でも、放射能を持った物質の危険性に対して設備の安全性をアピールすることは、物質そのものの危険性を裏付けるというか、これは本当に外に漏れたらいけないものなんだなという事実を、ある意味であらわにしてしまうななんてことも、ボンヤリと思いました。
再処理を行えば、実に97%の核燃料が再利用できるというのは、理念からすれば素晴らしいものだと私も思います。実際、大学の授業でプルサーマル計画のことを知ったときには感動すらしたものです。
ただ一方で、現在ドラムカン22万本分の低レベル放射性廃棄物(原子力発電所の職員の作業服などをコンクリートで固めたもの)、1338本の高レベルの放射性廃棄物(ガラスと混ぜて固めてある。表面温度280℃。20秒で即死するレベルの放射線)を原子力発電がこれまでに産んできています。
低レベルのものでも300年の管理が必要だし、高レベルのものにいたっては、現状ではまだ高温で放射線も放っているため、50年くらいかけて六ヶ所で熱をさましながら保管してから、最後は地層処分という方法で半永久的に我々の生活から隔離しなくてはならないのです。こういう物質を産み出し続けるわけです。
大量のエネルギーと引き換えに。
今後、下北半島にはマグロで有名な大間を含めて5機の原子力発電所が建設されるそうです。
そして、むつ市には「使用済み核燃料」の中間貯蔵施設も。
エネルギーをバンバン消費している都会の人間のひとりとして、とても複雑な想いです。何よりミュージシャンは音楽にまつわる現場で大量の電力を消費しますし。
交付金で道路が整い、街は潤うかもしれませんが、何か面倒を地方の街に押し付けているような...。(私は本当に東京湾の一角に原子力発電所を作るべきだと思う)
かと言って、何か他の解決方法を私が知っているわけではありません。
原子力発電に関して、私が一番怖いなと思っていることは、これからどういうことが起きるのかが良くわからないことです。その歴史が、ここ数十年のことですから。
私たちの子供や、孫や、そういった世代に対してどのような影響が出るのか、それが心配です。健康面の話ではなくて、前述したような放射性廃棄物の管理などの話。
フロンの問題や、生物の多様性を人類が破壊している問題、その他の環境問題、これらは毎度後からわかってきたことなので、同じように、あとからことの重要性が分かってきたのでは遅いのではないかと。何しろ、半永久的に隔離しなければいけないような物質なのですから。
気づいたときには、既に取り返しがつかないのではないかと、そんな風に不安な気持ちを持っています。
私は、この問題に対して、明確な答えを持ち合わせていません。
でも、こうして私の日記を読んでくれている皆さんに、少しでも知ってほしいと思います。考えてみてほしいと思います。
最後に。
丁寧な対応をして頂いたPRセンターの職員の皆様に感謝します。どうもありがとうございました。