1月30日。自宅にて作業。
31日。レコーディング。ボーカルの録音。
2月1日。NYへの出発準備、自室スタジオにて作業。
この日はUSTREAMというアプリケーションを使ってのチャリティライブを試みた。いろいろ権利などの問題があって、こうやってネットを使ってライブをするということは難しい。でも、それがわかったというのはとても収穫があった。
出来ること、出来ないこと、それは実はまだはっきりしていない。新しい方法だからだ。こういう場合には、とりあえずやりたいことをやりたいと言ってみること、それが大切。そうやって、自分たちのものになっていくように思う。
インターネット生中継がぐっと身近になった。
2日。NY出発。
3~11日。NYにてレコーディング敢行。観光も。
東京は至れり尽くせりだ。何でもある。音楽の環境においてもそう。スタジオの設備は東京のほうが良いくらいだ。
適度に不便なことが良い方向に作用することもある。それはその場の空気を録音したい場合などでは特に。作り込み過ぎることで損なわれる感覚というものがある。NYではそれを作品に閉じ込めることが出来た。
ヴィンテージのアンプやマイクやその他の機材が豊富なところも素晴らしかった。
街の雰囲気は、とても不思議だった。
戦争や地震で焼けたりしていないので、街には古い建物が沢山あって、それだけで雰囲気がある。そんな中にも目を引く新興デザイナー物件が軒を並べる地域なんかもあって、刺激的。
あとは人種の坩堝なので、私ですらも外国人扱いを殆どうけないし、疎外感も感じない。日系人や東洋人は、ニューヨーカーにとっては普段から見慣れた風景の一部なのだ。気が楽だった。
治安やなんかは、1回地下鉄の路線を間違えて、朝からラリった黒人がフラフラしている汚い駅に降りてしまったときには肝を冷やしたが、噂で聞いていたよりはずっと良かった。
ただなんとなく、とても怖いと感じたのはエンパイアステートビルの102階で911のことを思ったときだった。
ほんの数キロ向こうを飛行機が飛んでいる。それがフラっと向きを変えてこちらに迫ってくるのではないかと思うと、私はたまらなくなって10分足らずで逃げ出してしまった。
そこからはツインタワーのないマンハッタンの先端がよく見えた。カップルたちが抱き合って写真を撮りあうその隣りで、私は恐怖を感じていた。
グランウンドゼロは、丸の内が丸ごと吹っ飛んだような広さだった。改めて、広い。
新しい施設の建設が進んでいて、エンパイアスてートビルで感じたような怖さはなかった。
ここに新しく建つものは何なのか?そんなことを思いながら、スタジオに戻った。
12日。帰国。
13日。時差ボケ。
14日。時差ボケ。
15日。時差ボケ。眠い。