素朴な疑問
カテゴリ:日記
深夜のNHKではセイフティネットに関する特集。

学校給食くらいでしか満足な栄養を補ることができない子供たちや、3000円の習字用具の購入を我慢しなければならない小学生、専門学校に行きたくても家庭の金銭的な事情で辞退しなければならない高校生。

こういう場面で若い子たちが持つ劣等感の大きさを考えると、とても悲しい気分になる。大人のそれとは比べ物にならないくらいの衝撃を心に受けることは想像できる。

「俺だけ習字道具ない…」とか、想像しただけで泣けてくる。



そして私の素朴な疑問。

どうして定額給付金や子育て手当、高校教育の無償化だとか、そういう政策は国民すべてを対象にしているのだろう。

どう考えても、困っている層に手厚く支給するべきだと私はいつも思う。



例えば(これは突飛な例え話ですが)、ひとつのクラス(40人)が遠足に出掛けます。

遠足に出発するにあたって、皆でおやつを買いに駄菓子屋(コンビニでもいい)に行きます。おやつは好きな物をいくらでも買っていいというルールです。

もちろん、お金を沢山持っているひともいれば、20円しか持っていないひと、全くお金を手にしていないひともいます。

これではおやつを食べられないひとがいることになってしまうので、先生は全員に一律50円ずつ配ることにしました。

ただし、このお店で一番安い商品は100円です。先生はそれを知りません。



配った金額は平等だけれど、結果として、皆が同じ幸福感や満足感を味わっていない(食いしん坊と言うような個人的な性格はこの無視する)。

皆が同じような満足感を得ることは無理だとしても、これでは皆が「おやつを買って食べる」っていう目的が達成されていない。買えないやつは買えないまま。



ということなのではないかと。

まあ、私の単純な脳みそが話を単純化しすぎなのだけど。



それでも話を続けよう。

40人に50円だから2000円。これは皆が毎月払っている積立金みたいな性格のものから支出されている。

50円もらってもおやつを買えないひとは全体の20%くらいとして8人。彼らに100円ずつお金をあげると800円の支出(100円に足らない額のお金を渡すことにすればさらに支出は減る)。1200円以上が余り、別のことに使える。



ただこの場合、ギリギリ変える100円くらいの所持金のひとたちがイラっとするかもしれない。「なんだよ!」みたいな。「皆の積み立て金だろ!」とか。

そういう反応はあるね、絶対。

だから、余計に持ってるひとから、100円を超えて余計に持っている額の割合に応じて、ちょっとお金を貰う。

これで100円くらいの所持金のひとたちの不平等感は少し和らぐと思う。



ということをやったら良いのにといつも思う。

「買えないひとがいる」っていうのが最も深刻な問題なのではないかと。

で、それって全員に配るよりも確実にコストがかからないよなぁって思う。余ったお金は違う部分に違う視点で生まれた不平等感や諸問題を解決することにまわすことができるのではないかと。



民主党の議員はコストが何兆もかかるのだと言っていた。



あとはもう、既に持っているやつらが持ってないひとが持つことに過剰な不快感を抱かないこと。

持ち過ぎているやつは少しは社会に還元すること。

そういうひとの心持ちに関するおおらかさみたいなものが必要なのではないかと。困ったときはお互い様と言うではないか、と。私は良い言葉だと思う。



本当に「怠惰にサボっていたから持っていないのです」という状況ではないひとが増えている。社会の仕組みが問題でそういうひとが増えているのではないかと、皆思っている。

とくにそれが子供達ということになると、とても悲しい。



以上、私の素朴な疑問。
2009-10-08 1254933180
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