続・素朴な疑問
カテゴリ:日記
誰も間違ったことは言っていないと思う。



でも、やっぱり1日の食事が給食だけという子供達に手を差し伸べられない社会は、どこか機能不全を起こしているのではないかと思う。

子供達の手から奪われるべきでないものは「機会」だ。それは可能性そのものだ。

子供達が夢や希望を持てない社会ではお先真っ暗じゃないか。

子供は親を選べないのに、親の経済力によって受けられる教育に差があるのは平等ではない。

ヨーイドン!の段階で差があるのに「自由競争」だなんて、そんなハンデキャップ戦みたいなものは全くもってフェアじゃないと私は強く思う。



「社会保障」をシステムとして確立させるのは、とても大変なのでしょう。

老後はバラ色みたいな触込みで始まったかどうかは知らないけれど、そういう名目で集めたお金を優秀であるはずの人たちが投機というギャンブルみたいなものでガンガンすっちゃったりするんだもの。



だけどやっぱり、子供達が早い段階からいろいろな可能性を諦めないといけない社会は良くない。

これは偽善でも何でもどんな悪口を言われようが、私はそう思う。

それが出来ないようじゃ「終わってる」としか言いようがない。



あとは制度の問題とかではなくて、子供の飯くらい近所付き合いで食わせてやってよとも思う。「夕飯食って行きな」くらいのこと、田舎だったら普通にある風景だと私は思うのだけど。

人付き合いがドライになっている風潮はある。それは私にも言えるし。

子供がどんな状況に置かれているかっていうのは、その子の親の責任でもあるけれど、例えば地域の大人たちが引き受けてきた部分もあったと思うし、今もあるところにはあるのだと思う。

国や自治体だけではなくて、地域社会そのものがネットとして機能することが本当は理想なのだけど、もしかしたら今ではおせっかいなヤツ扱いされてしまうのかもしれない。



でも、理想は捨ててはいけないよね。



私には直接してやれることはないけれど、給食しか食えなくてもう腹へってどうしようもないっていうのならライブハウスの裏にでも来れば良いよ。困っている友達を連れてきてくれても良いし。

私の弁当で良かったらやるよ。何か他にも食い物はあるし。

(行けない町もあるし、ライブハウスまで行く方法がないよ!って言われたら、ごめんねとしか言いようがないけれど)



あとはこうやって日記に書くことしかできない。

でもこうやって「書く」ってことが私に与えられた役割だとも思うよ。

拡声器みたいなもの。

でも、私は意見を述べているのであって、いつも正しいことを言っているというわけではないので、それは皆で指摘したり、考えたり、話し合ったりして欲しい。

そうやって変えるしかないのだよ。ハイ!ってスイッチひとつで何かが変わることなんてないから。





■社会

人々が集まって共同生活を営む際に、人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現れる場合の、その集団。(以下略)

広辞苑より。





私が私以外の誰かと持つ関係も社会の一部だ。

そういうことの積み重ねです。
2009-10-08 1255009560
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