掲示板への沢山の書き込み、どうもありがとう。
とても励みになります。と共に、もっともっと発言に責任を持たねばと思います。
言葉を選ぶ能力も磨かなければ。伝わる書き方、伝わらない書き方があるからね。これはもう、生涯にわたって取り組まなければならないのだけど。
こういう反省をことあるごとにしている私。少しは進歩しているのだろうか。
波風を立てずに物を言うことが目的ではない。
共感して欲しいわけでもない。
でもどこかに同じことを考えていたり、同じではないけれど共通の問題意識を抱えていてくれたり、そういうひとが実際に存在することを知ったり、また、そういうひとが増えたり、そうやって広がっていって欲しいと思う。
そうだ。
実際に金銭的な問題で進学を諦めたひとのメッセージがいくつかあったね。前にやっていたラジオの番組にも同様の相談メッセージが送られて来たこともあった。
理由は様々だろうけれど、そういうひとの数というのは現在の経済状況を考えるときっと増えているのでしょう。
私は浪人時代の学費と生活費を全額自分で稼いだ。
経済的な理由というわけではなくて、どうしても東京の予備校に行きたくて「自分で払うから」と家を出たのだった。学費をバイト代で溜めてなんて到底無理だったので、新聞奨学会に応募して。
新聞奨学会というのは、新聞各社がもうけている学生のための奨学金制度。新聞を配達する代わりに、住居と学費と給料を手に出来るというわけ。住み込みのバイトと奨学金がセットになった感じ。
正直に言ってキツかった。
朝は3時くらいから準備が始まるからね。しかも団地の担当になってしまったので、早朝から気が遠くなるくらいの段数の階段を昇り降りすることになったから。
だけどお陰で体力もついたし、「お金を稼ぐってことはこんなに大変なことなんだな」と分かったし、大概の仕事やバイトをキツいと思わなくなった。(ただ、営業の仕事はまた別の意味で大変だということを社会人になってから知った)
また、当時は住む場所と朝ご飯、月に5万円弱くらいの給料と学費を提供してもらうことができた。シャワーは有料だったけれどね。諸々の条件は販売店によっても違うのかも。
予備校の学費は大学に比べて安かったので、残額もあとでもらうことができたし、ボーナス的な収入もあった気がする。随分前のことなので忘れてしまったけれど。
確か、大学の入学金か引っ越しの敷金礼金にあてがうくらいのお金も最後にもらえたように記憶している。
それでなんとか1年間、東京都の立川市で生活した。
いろいろな事情があるだろうから、これが役に立つひとばかりではないと思うけれど、良い制度だと私は思う。
途中でギブアップするひとも沢山いるからね。突然逃げてしまったひともいたな。
キツいけれど、これで学校に通い切ったひとはどこか誇らしい気分を持つんじゃないかな。新聞社の好意でもあるけれど、労働もあるわけで、自立以外のなにものでもないから。
配達中の景色のいつくつかは、今でも特別なものとして残っているな。「真冬のダンス」の足跡のない夜明けの街とかね。
それ以外にも、いろいろな経験をさせてもらった。文才があったら本にできるくらい。
このときに出会った友達が私にOASISやBECK、その他の洋楽ロックを教えてくれたお陰で、私は音楽に興味を持ったのだから、大変だったけれど掛け替えのない1年だったのだと思う。
もし足りないものが「お金」だけであって、それで進学を諦めなければならないのならば、資料くらい読んでみることをオススメしたい。
その先は自分で。
詳しくは
こちらを参考に。
シリーズ・自転車通勤をしていて発見したこと。
キツい思いをして登り切った坂の向こうには、全力で漕がずとも風を切って進むことの出来る下り坂が待っていること。
ゆったりと長い上り坂を意識的に登らされているときが一番キツいということ。
明日は秋晴れの様子。
自転車でどこまでも出掛けたいけれど、明日も我々はスタジオで作曲活動。