私の十代後半の鬱屈とした日々を打ち抜いたバンドのギタリストが、この夏に亡くなってしまった。
悲しいとか、そういう気分にはならなかった。と言うか、ただ呆然とする以外になかった。
嗚呼、もうあのカッティングを観ることは叶わないのかと、ただそうした穴がポッカリと空いた。
深夜のTVで「世界の終わり」という曲のPVを観たのが最初だった。
完全に一目惚れだった。
なんて格好良いバンド名なんだ!!とも思った。
詩も曲もクールで最高だった。
聴いたことの無い語感の日本語は、意味を追うよりも感覚にビシビシと迫ってくるようだった。
大学に入学して軽音楽部に入ったが、まわりの皆は彼らのことを知らなかった。
だから皆に薦めた。
「チキンゾンビーズ」までのアルバムを死ぬほど聴いた。
その後、彼らは人気も絶頂期を迎えて、まわりの皆が私よりも彼らを好きになってしまい、なんだが私は少しずつ心が離れてしまったのだった。
解散のライブも結局見届けることが出来なくて、それがとても心残りだった。
そして、もう二度と観ることは出来ない。これは可能性の面でなくなってしまった。
だからその心残りは死ぬほど聴いた「チキンゾンビーズ」までのアルバムとシングル、98年の豊洲で受けたあの衝撃、それと共に墓場に持って行こうと思う。
私が知りうる中では、彼らこそが最高の日本のロックバンドだと、そう思う。
そして、先日、私の敬愛するノエル・ギャラガーがバンドからの脱退を発表した。
発せられたコメントは、これまで繰り返されてきた狂騒とはかなり雰囲気の違うものだった。
だから、もしかしたら今回ばかりは問題が深刻なのではないかと思ってしまう。
何もかもはいつかなくなってしまう。
わかってはいるけれど、受け入れることは難しい。
そして何時だって私は、なくなってしまってからいろいろなことに気付く。
これについてはもう、学習能力がないのだと思う。