スタジオに籠って鋭意音源制作中。
何故か右肘が痛い。はは。
ビートルズにまつわる話の続き。
初めて買ったビートルズのアルバムは「Let It Be」。高校生のときだったかな。これは一般的な入り口として普通にありえるのではないかと思う。「『Let It Be』ってバ~カ良い曲だらぁ」って思ったものね、当時。
そして、カラオケで「In My Life」を良く歌ったような記憶がある(この曲は「Let It Be」には入っていないけれど)。なんだかんだで、世間一般のBEST3通りじゃんか!と我ながら思う。ベタな学生。
当時はビートルズよりもジョン・レノンのベストを良く聴いていた。アンソロジーでリメイクされる前の「Real Love」がとても好きだった。
それから、大学時代。
山ちゃんをバンドに誘うきっかけになったのは、彼が私の「どんなのが好きなの?」という質問に「ビートルズ」と答えたぎこちない会話。私は当時ブリットポップ一直線だったので、ビートルズ好きなら話が合いそうだなと思ったのだった(それ以上に、音楽の趣味に関わらずコイツは良いヤツそうだ!と思った)。
山ちゃんは私の誘いに、その場で「やるよ」と答えたように記憶している。
だけれど、山ちゃん曰く、当時のケンさんには冷たくあしらわれ、あまり自分はケンさんに好かれていなかったといつもこぼしている。現在では無二の親友同士だけど。
そして、アジカンとして最初にスタジオで合わせたのがビートルズの「HELP」だったと思う。oasisの「Live Forever」も結成当時の課題曲。それに私が作ったオリジナル曲を加えて3曲で初ライブをやったのだった。
どういういきさつで上記の2曲が課題曲になったかは憶えていない。
私の高校生のころの話は別として、我々の音楽はビートルズの影響を受けているのだなぁと改めて思う。
私が生まれる前の話だからね、ほとんどのアルバムが。それが未だに多くの人たちに愛されたり、影響を与えたりしているのだから、モンスターみたいなものです。凄い。
単純に今聴いても、本当に色褪せないからね。もう本当に、同業者の端くれとしては絶望的な気分になる。
絶望的なほど素晴らしい。
911。
「正義」という言葉について考える。
誰しもにとっての「正義」というものは本当に存在するのだろうか。
あのビルに突き刺さったのも、視点が違えば「正義」だ。
それは突き刺した側のものだけれど、突き刺された側の「正義」が育んだものでもある。
一応、「正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道」と広辞苑にあるけれど、その後の文章を読むと、実はきっちりと定義されていない言葉であることがわかる。何に対する「正しさ」なのかをズバリ!と言い当てたひとはいないのかもしれない。
「正しさ」ってシンプルな意味を持たせられそうだけど、イデオロギーや宗教などによって複雑化されてしまうものね。絶対的な視点というのはとても難しい。
で、そういうことをいろいろ考えて、結局いつも通りこんがらがっているのだけど、せめて自分のことを「絶対に正しい」と思うことはやめようと思う。
自分なりの視点を持つことはとても大切だと思うけれどね。
時によっては、場所によっては、場合によっては、「正しさ」が逆さまになることだってあるし、自分の「正しさ」を誰かに振りかざすことは、どこか「正しくなさ」を伴っているような気がする。
そして、この文章が「正しい」かどうかは考えないでおこうと思う。完全に迷路に陥ってしまうから。
私は、なるべく凝り固まらずにフニャフニャのこころで持って、いろいろな人たちと話をしながら、そのかたちを変え続けられたら良いなと思う。
さっきまでYES!!と思っていたことが、NO!!になることも多々あるしね。
柔らかいこころが欲しい。
でもって、それを硬く尖らせて誰かに突き刺したりしない人間になりたい。
やっぱり身の回りのこと、自分のことに帰結してしまうけれど、それしか私には出来ない。