6月23日は沖縄慰霊の日。
ツアーで沖縄を訪れた際には、糸満市方面に向かうのが恒例となってしまった。
ワールドワールドワールドツアーの時はマネージャーとふたりで原チャリをレンタルし、ひめゆりの塔や平和祈念公園、その近くの沖縄戦にまつわる場所をまわった。
初めて平和祈念公園に行ったとき、戦没者の名前を刻んだ膨大な石碑にただただ驚くばかりだった。
本当に立ち尽くすばかり。
そこで何を思うかは訪れたひとの勝手だけれど、沖縄に行く機会があったら、観光の合間に時間を見つけて立ち寄ってみて欲しい。
そして、そこに刻まれた人々の名前には当時、実際に肉体があったのだということを思い浮かべて欲しい。
大きなロックフェスティバルがいくつも丸ごと収まるくらいの人々が、かの戦争で亡くなったのだ。
もちろん、石碑には刻まれていないひとも沢山いる。
「No.9」の歌い出しの海は、この公園や、この付近の高い崖から見える海をモチーフにしている。
青くてとても美しいのだけれど、私はいつも悲しい気持ちになる。
海の美しさと出来事の凄惨さの間にある隔たりが、余計にそういう気持ちを煽るから。
高校球児だった私にとって、夏は喪失の季節でもある。
毎年、夏になるといろいろな理由でセンチメンタルは加速する。
何が正義なのかはよく分からないが、有史以来、人間は殺し合ってばかりだ。
戦国時代の武将がブームだという。
あれだって殺し合いの歴史なのではないのだろうか。
なんとかの合戦だって、有名な戦国武将のもとで、何人もの名も無い足軽が死んでいるはずだ。
それの何が面白いのか、私は昔から一貫して理解出来ない。
追記。
いつの時代だって、時の権力のために犠牲になるのは一般の人々だ。