複雑
カテゴリ:日記
私たちが考えるよりも、私たちが生きる現実世界というのは複雑なのだと思う。

もうグッチャグチャで混沌そのもの。

それはいつの時代でも変わらない。

だからたったひとつの方向から平面的に物事(歴史もそう)をみるということは、とても恐ろしいことなのだ。

これは自分に対する戒めでもある。



例えば、何年か前に書店で買った本。

日本残酷物語」というタイトル(タイトルについては本書のあとがきに批判的な内容が書かれていた。この「残酷」という表現はどうかと)。おどろおどろしいタイトルの本だったけれど、書店の一角で平積みされていて、きっとこの出版社の営業担当が頑張ってこのコーナーを勝ち取ったのだろうと、元出版関係のサラリーマンだった私は特異な感心とささやかな好奇心からこの本を手に取ったのだった。







これは、民俗学の本。

「民俗学=一つの民族の伝統的な生活文化・伝承文化を研究対象とし、文献以外の伝承を有力な手がかりとする学問」

こういう本に書かれていることの信憑性がディティールまで行き届くのかどうかは私にもわからないけれど(最近では、教科書で「史実」とされていたことが「実は違った」ということもあるから、なんだか複雑な気分になることも多い)、ある時代を立体的に想像することにはとても役立つように思う。

内容はとても刺激的で、なかなかタフな読み物だと思った。

特にオススメというわけではない。こういう本を読んだことがあるのだけど、というお話。



これでもまだ、月の裏側を見るようなことではないものね。

やっぱり知らないことのほうが多いというか、そもそも歴史として語られていないことのほうが圧倒的なのだと思う。

そして、現代を、私の今此処から見たり考えたりすることもそれと似たようなもので、知らないことだらけなのだ。



インターネットの功というのは、私たちのささやかな生活や現実を情報として記しておくことが出来るということだと思う。表現の自由が存在する限り、という注釈付きだけどね。

100年後に今を語ることは、100年前を今に語ることよりり正確なはずだ。圧倒的な情報量で、人類は史実を細部まで残しておくことが出来るかもしれない。民俗学の「伝承」という少し扱いづらい部分も、我々ひとりひとりがリアルタイムで活字にしておける時代なのだから。

ただ、それを採用する側の意図で、どこがフォーカスされるのかが変わってしまうのだけど。

これはいつの時代でも同じか。
2009-06-27 1246031760
©2010 Sony Music Entertainment(Japan) Inc. All rights Reserved.