いつだって現実はズドンと僕らを打ち抜いたり、ドスンとそこに腰を降ろして僕らを途方に暮れさせる。
でもこの現実というヤツとは一生涯に渡って向き合わなければいけない。
そんな中でも、音楽がこの現実に抗う、抗うというよりは向かい合うためのエネルギーになれば良いなと私は常々思う。
日本国憲法第九条は、日記に書き記していて気持ちが良かった。誤解がないように言うと、九条を日記に書くという行為が気持ちよかったと言いたいわけでは全くなくて、ジョン・レノンのイマジンの歌詞を実際に歌ってみるような、そんな感覚としての気持ちよさだった。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」なんてところが最高だと思う。
皆がこんな気持ちだったら、なんてこの国は素敵なんだと私は思う。たとえそれが絵空事だと言われようとも。
美しいものは美しい。
同時に、いろいろな問題を我々が抱え込んでいることも忘れずにいよう。それが現実だから。
(でも、この美しい一節を書き換える日が来るとしたら、なんだか忍びないね。)
例えば、核武装。
仮にこの国が核武装を目指したとして、国際社会の理解は得られるだろうか。恐らく、得られない。核技術の平和利用を掲げる機構のメンバーでもある。
勝手に持つのなら、ならず者の仲間入り。
その場合、ウランの採れない我が国のエネルギーはどうなるのだろう。
貿易を制限されたりはしないだろうか。ただでさえ景気が悪いこのご時世、どういうことが起こるのだろうか。
例えば、自衛隊を軍隊と認めて、集団的自衛権を行使。
仮にブッシュ政権下だったとしたら、イラクの最前線に自衛隊が送られることになったのではないか。
それこそそっちのほうがブッシュ政権にとっては都合が良かったのではないか。
後方支援などとは言っていられなかったのではないか。その場合は東京などがテロの標的になったのではないか。
今後も、ことあるごとに、そういう使われ方を強制される可能性があるのではないか。
私の足りない脳みそでも、このくらいの妄想や想像がこぼれ落ちる。
学者ではないので、実際のところはわからない。
でも、隅々まで考えてみることは大切だと思う。そこんところはどうなのよ!って。
どちらも理想を抱えつつ(これはそれぞれ持てばいいと思う)、結局は現実と向き合わないことにはどうにもならない。
それは平和を願うひとも、「日本は核武装すべきだ!」と言うひとも、皆同じなんじゃないかと思う。