「ユニコーン出るんだっけな?!」そう思って作業を一休みして点けたTV。ミュージックステーション。
私が憧れていた中学高校の頃に比べたら、メンバーも私も随分と歳を食ったけれど、画面の中のユニコーンは紛れもなく私が好きだったユニコーンで、なんだかブワっと身体中の毛穴が収縮した。
生演奏だっていうのも格好良かった。
思えば、建さんと初めて会ったときも、UKロックに混じってユニコーンの話しをしたな。「奥田民生みたいなギターボーカルをやりたい」と建さんは言っていた。私は当時、ギターが下手クソだったし(今も上手くはないけど)「俺、ギターだけなら速攻でクビだな」と、正直言って慌てたことを憶えている。「お前も歌うんかー!参ったなぁ」って。
それと同時に「この人とは、やっぱり趣味とか考え方が合うなぁ」とも思った。
月日は過ぎて、山ちゃんも(最初からいたけどね)キヨシも揃って我々は現在のメンバーになった。
いつだったか皆で同じ車に乗って仕事に出掛けたときのこと。誰かがユニコーンのベストアルバムをカーステレオでかけたところ、キヨシや山ちゃんも「俺、好きだったんだよ」と車内はとても盛り上がったのだった。「何だか変なところで繋がってるもんだなぁ」と感慨深かった。
本当にメンバー皆が共通で好きなバンドというのは、意外と少ない。2つか3つくらい。中学高校の頃に限定するならば、ユニコーンだけかもしれない。
案外、好みがバラバラだったりするからね、我々は。
現在はどういうわけか、ユニコーンとレーベルメイトになってしまった。
不思議だな。
夢にも思わなかったもの。
そう言えばよく「夢が叶って良かったですね」と言われることがある。
でも、音楽にまつわるあれこれが「夢」だったことって、ただの一度もない。
オアシスやウィーザーやフジロックのグリーンステージだって、「夢だった?」って言われたらそうではないんだ。どれも夢みたいな時間だったけれど。
建さんや山ちゃんとバンドをやり初めた頃っていうのは、そうでもしないとどうにかなってしまいそうなほど私には何もなかったし、曲を書かなければバンド内に私が存在する意味がなくなりそうで怖かったし、そういう現実とか妄想とかとぶつかり合って、逃げ切れなくて、それでも何処かわけのわからない場所に連れていってくれるのがバンドだし音楽という装置だった。
歌に乗せて伝えたいことなんて何ひとつなかったんだ。あるとしたら「僕は淋しい」ってことだけ。
本当の本当に「夢」というやつがあるとしたら、それは島田球場のセカンドベースの後ろで落っことしたまま。それは多分、どんなに音楽をやっても拾うことは出来ない。落とした直後から探し初めたのだけど、どこにもあるわけがないんだ。無くなってしまったのだから。
そう分かってはいるけれど、私の音楽はそのたったひとつのロストから溢れ出しているし、それを埋めたいとも思っている。思い続けている。ブラックホールにスコップで砂を放り込むようなものなのに。
野球のことは今でも、夜、夢に見る。
そう言えば、その頃は音楽を全く聴いていなかったな。
あんなに好きだったユニコーンの解散なんかも、ショックを受けた記憶がない。
それも何か、不思議な縁。
ユニコーンの演奏が終わったのでTVを消し、私は夕食をとった。
そして、センチメンタルな気分になった。
建さんがバンドに誘ってくれて良かったなと思った。