仙台公演は無事に終了。
とても良い夜だった。ありがとう。
終演後はゲストのavengers in sci-fiと牛タン。そして酒。
酔って半分寝ている建さんがアベンジャーのスタッフと談笑するうちに夢の中へ完全に突入し、途中から「僕はアンパンが%$…スイマセン」と訳の分からない会話になっていて面白かった。本人曰く、夢の続きを話してしまったとのこと。
会話中に夢を見るまでの眠りに落ちるとは!!恐るべし。
今日は仙台から戻り、LINKの解散ライブを観に川崎へ出かけた。
LINKを初めてみたのは横浜のCLUB24の深夜のイベントだったと思う。まだ高校生だというのに、そうは見えなかった。音楽もスタイルも格好良くて人気があった。凄いヤツらがいるもんだと感心したし、嫉妬もした。
あの当時はメロコア/パンクムーブメント全体に過剰な嫉妬心を抱いていたな、そう言えば。
印象的に残っているのは、横須賀の三笠公園でのイベントのこと。「踏み台」という、地元のスタジオが企画している野外ライブ。
我々の出番の頃にはチラホラだった観客も、トリのLINKになると何処からともなくわらわらと人が集まって、同じ会場だとは思えないくらい彼らのライブは盛り上がったのだった。
懐かしい。
チッタでの解散ライブはとても良かった。
曲も良いけれど、LINKは何と言っても立ち姿が良い。絵になる。
だから、スクリーンに映し出されたヒストリーの写真がどれも格好良い。海外のロックバンドみたいだ。
終演後はファンがなかなか帰らず、係員が「終演」をハンドマイクで何度告げても、拍手が鳴り止まなかった。
それでも、LINKはダブルアンコールには出てこなかった。サラっとした幕切れだった。
「LINKらしいね」と潔が言っていたが、私は残ったファンと同じくもう1曲聴きたかったな。
でもきっと、拍手が鳴り続けたのは既に「終わり」を迎えた後の会場で、それはもう覆りようがなかったのだと思う。「終わり」とか「さよなら」は、本当はこういうふうにあっさりと訪れるのだと、そう思うと切なくなった。
帰りは東海道線で帰った。
夜の東海道線は混むので、750円余計に払ってグリーン車に乗った。
だけどグリーン車も混雑していて、通路にしか居られなかった。通路でも750円。
会社勤めと思わしき人々は、年末が近いからかお疲れの様子で、中には座ってんだか落ちてんだか、そのどちらが最初の目的だったか分からないくらい通路に上半身がハミ出て眠りこけているひともいる。車内販売のカートが仮に来たとすると、胸から上が跳ねられるようなスタイルで、写真に収めたいくらい芸術的な眠り方だった。
しばらくすると、明らかに一杯どころではない酒をひっかけて目が据わっているオッサンが私の横に現れた。大柄のサラリーマンで、俳優の山崎努に似ている。
オッサンは何かブツブツと言っている。
4~5人の乗客が居る通路には「なんかマズいね」という空気が満ち始め、それを皆が共有し始めていた。
電車は何事もないように終点を目指して進んでいる。
しばらくして、私は直感的にヤバさを感じ、チラっとそのオッサンのほうを見てみた。すると最悪なことにバチッとオッサンと目が合ってしまったのだった。
しまった!!!
私はそう思った。これは最悪のパターンだと。
オッサンの目は据わったまま、完全に私をロックオン!していた。
す、す、吸い込まれる!!もしくは石になる!!と危険を感じ、咄嗟に私は目を逸らした。が、右側頭部に刺さるような視線を感じる。怖い。
そして親父は突然こう言い放ったのだった。
You really understand?
え、英語?
動揺した。
見ず知らずのオッサンに「本当に分かってる?」と浅いんだか深いんだか分からない質問をされたのだから仕方ない、しかも英語で。
私はチキン(臆病者)なので、オッサンを無視した。
するとオッサンは「D」から始まる短い単語を、よく聞き取れない発音で何回も連呼し始めたのだった。
そしてドア際に居た女の子に「I'll get off」と告げて、次の駅で降りていった。
一体、なんだったのだろう。
オッサンは遂に日本語を話さなかった。
私はしばらくの間、なんだか狐につままれたような気分だったけれど、少しずつ可笑しさがこみ上げて来て、ニヤニヤとしてしまった。
街は年の瀬の魔法に掛かって、こうしたひとが増え始めている。
11~12月は一年の間でもっともファニーな親父に遭遇する率が高い。