ペンネーム:甘納豆大好きっ子ちゃん(38)回答編 第3回
カテゴリ:日記
埼玉県にて、PVの撮影。

NAMO-MUGEN FES.に出演するバンドの音源を一同に集めたコンピレーションCDに収録される、我々の新曲のPV。

待ち時間もたいしてないままサクサクと撮影は進み、撮影は無事終了。

格好良いPVになりそう。







写真は、「まずは腹ごしらえだ!!」と、もの凄い勢いで飯をかき込むキヨシ。右手がブレるほどのスピードでスープを浴びるように飲んでいた。

キヨシは衣装の準備にあたって、「CGが入るので緑のモノは身につけないで」「モアレという現象が起きるので、細かいシマのモノは着ないで」といった現場サイドの注文を全く無視。

結局、持って来た衣装は却下され、飯を食ったままの格好で撮影に突入。







写真は、クールに演奏シーンを撮影するケンさん。キャー。









そして、回答編は3回目。



投稿者:関学生の友達/18/male/神奈川

本文:後藤さんは普段、某巨大掲示板群やニ○ニコ動画、Y○uTubeなどはご覧になられているのですか?また、見られているのなら匿名性を利用した誹謗・中傷をどう思いますか? 僕は最低だと思います。ですが改善の方法が思いつきません。どうすれば誹謗・中傷をやめさせられると思いますか?



A.

「Youtube」はたまに観ます。海外のインディーバンドのPVを観たりしますね。DVDを発売するようなバンドは案外少ないですから。こいうサイトはリスナーとミュージシャン双方にとってプラスのツールだと私は思います。それをきっかけにCD購入に至ることも多いですから。ただ、アップロードされたファイルをそのままダウンロードできるようなサイトは問題ですね。

インターネットに於ける匿名の意見交換は良い部分と悪い部分がありますね。誹謗中傷に関しては、そういうことが書き込まれるところを見ないようにしてはどうですか。そして、そんなに深刻に思う必要もないと思います。なぜなら、インターネットをしないひと、インターネットをしていてもそういう場所を見たり書き込んだりをしないひとのほうが圧倒的に多いですから。ネットの中だけが社会や世界ではありません。

でも、一方で、それを真に受けるひとがいるというのも、困ったものですね。ネットの中の情報は、常に「不確かである」という可能性を見逃さないようにしたいですね。誹謗中傷をやめさせるよりも、そういう視点を皆にアピールしてみるのはどうでしょうか。







投稿者:西元和夫/39/male/鳥取

本文:音楽で世界を変えようと考えていますか。

その場合、世界というと、わが国では外国のことを指したりするのですが(「アジカンが世界に羽ばたく」というと、「外国でライヴした」ことを指す、とか)、そういう外国の歴史的現実をも含めての、世界を変えようと考えておられますか。無力感は、何にしてもつきものだけど、無力であるというのはおのが行為や生活、それがもたらす現実をよく見ていないものの欺瞞だと、考えませんか。後藤さんの作品は自意識の強いものに思えます。私は、自意識とは必要悪であるけど諸悪の根元だと考えますが、自意識をどのように捉えておられますか。



A.

最初の質問に関してはアルバムの中から感じとって頂けたら嬉しいです。「世界を変える」ということに関する思いは、現時点で思うことはすべて歌詞の中に書きました。

自分が無力であること、それに対して何かを思うこと、それを「欺瞞」だとは思いません。では「現実をよく見る」ことによって、無力を感じることはなくなるのでしょうか。私はその逆ではないかと思います。現実から逃避したところでの無力感については、感傷や自己愛でしかないとは思いますが。

「どうにかしたい」「何かをしたい」と思っても、何からはじめたらいいのか、どうしたらいいのか、またそれを行って問題の解決になるのか、やらないよりは良いのではないか、そういう逡巡を経て途方に暮れる感覚が「欺瞞」だと言い切るのは、ちょっと厳しすぎると思います。

「自意識」は「他人からどう思われるか。自分がどうあるか」という意味の言葉ですね。これは人間が人間であることそのものでしょう。悪とか善とか、そういう類のものなのですかね。自意識が皆無なひとを、私は知りません。ただ「他人からどう思われるか」という部分に関しては、なるべく削ぎ落としたいですね。ここが膨らむと自意識過剰ということでしょうから。「自分がどうあるべきか」については、よく考えますね。確かに私は自意識が強いかもしれませんね。ははは。







投稿者:渋山貴光/37/male/大阪

本文:「No.9」とても好きな1曲です。とても考えさせられる1曲でもあります。あるTV番組で見たのですが食料援助や井戸を掘ったりと活躍している女性の特集をしていました。果たして自分は何が出来るのだろうと思いました。寄付ぐらいしか思い浮かばない自分はちょっと情けないです。ごっちはどう思いますか?



A.

私も同じことを思うことがあります。今の自分の生活をほっぽり出して、そこに飛び込んでいく勇気もないですし。そういうことも含めて、自分の「小ささ」に凹みます。でもそれって、「最初から何か出来るような目線で自分を見ていたのかな」とも思います。だから情けないと思ってしまうのかなと。寄付したら良いではないですか。井戸を掘るにはお金が必要です。農地に水路を引くのにもお金が必要です。「金でなんとかなる」というような気持ちでいるわけではないのですから、胸を張って寄付したら良いと思います。ただ、寄付する団体はよく考えて選ばないといけないですね。

そうだ。アフガニスタンで活動する医師、中村さんが書いた「医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む」という本をオススメします。







投稿者:大津島神貴/20/male/愛知

本文:はじめまして。 やっぱり霜降り肉の方が好きですか? 僕は荒々しいオージービーフとかの肉々しい方が好きです。あっでもこの質問が日記にのったら霜降り肉についてもう一度考えます



A.

「食肉のキャデラック」と呼ばれる牛肉。1kgの牛肉を作るために必要な飼料(穀物)はなんと11kg!!という記事を読んだことがあります。牛のエサになる穀物を食用にまわすと、多くの人々が直面している食料の問題が解決するとの試算も出ているとのこと。うーむ。

でも、美味しいですよね。私は「もう牛肉はなるべく食うまい」と思ったのに、誘惑に負けて仙台で牛タンを食べました。なんと意志の弱い。これからはせめて、地産地消を心がけたいと思います。

最近は脂っぽい食べ物が苦手になりつつあります。野菜などを食べているほうが、不思議と体調が良いのですよね。







投稿者:もつ鍋/19/male/東京

本文:『No.9』はアルバムが発売される前に、スクール オブ ロックで聴きました。そのとき、すごい衝撃を受けたのを覚えてます。それと同時に「今回のアルバムはとんでもない作品に違いない!!」と思いました。そして、聴いてみると、予想以上にもっと素晴らしくて驚きました。

さて、『No.9』についてですが、イントロ部分とかで、ギターと喜多さん声のコラボはどのように生まれたのか、お聞きしたいです。



A.

「ギターリフ、歌を重ねたいんだけど」という私の提案に皆が賛同して、こういうアレンジになりました。ケンさんの声は、まさに打ってつけではないかと、メンバーでなくてもそう思うでしょう。

人の声が重なることで、ギターリフのメロディがより強固なものになりますね。人の声は、メロディを奏でる楽器として、また強い印象を与える役割として、とても能力が高いですね。歌うことによって、より「残る」ギターリフになったように思います。







投稿者:かかと/33/female/埼玉

本文:NO.9大好きです!初めて聴いた時、なんだかせつないんだけど踊ってしまう自分がいました。そこで質問なんですが、この曲を演奏中、お客さん達はどんな表情で踊っているのですか?後藤さんからどんな風に見えるのか聞いてみたいです。



A.

私は目が悪いので、あまりお客さんの些細な表情までは見えません。全体の雰囲気として、会場を感じているというのが、正直なところです。そして、その風景や感じることを言葉で説明することがとても難しいです。私も私の演奏がありますので、あまり冷静に会場の雰囲気を分析している暇がないのですよ。でも、例えば「アンダースタンド」や「リライト」などとは空気が違いますね。その違いは、新しいアルバムの曲すべてで、今のところ感じます。何故なのかは分かりませんが。

「No.9」という曲で、私は皆に踊って欲しいと思っています。ですから、「なんだかせつないんだけど踊ってしまう」という感想が嬉しいです。部屋で、機会があったらライブハウスで、存分に踊ってください。私も心を込めて演奏します。
2008-05-14 1210776780
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