取材は一段落、現在はラジオなのどキャンペーンが続いている。
昨日は福岡に行ってきた。
折柄の強風により、使用予定の飛行機が羽田空港に到着せず、なんと5時間も空港のロビーにいるハメになってしまった我々。飛行時間も合わせると約7時間。腹が立った瞬間もあった。結局、半日近くが潰れた格好だけど、お陰で何冊か本が読めたので良しとしよう。
文学青年みたいな、間違った印象で見られることの多いワタシ。本を読むのが好きになったのは、そんなに昔のことではなくて、日本語で歌詞を書くようになってからだ。
それまでも、古本屋が好きでよく通ってはいたけれど、トンデモ本(オカルト系とか)のような類の笑える本や科学関係の雑学本を買うのが好きだっただけで、文学作品については、今でも疎い。
あれだけの暇な時間を読書に費やせたら・・・と思うことも多い。一体、何冊の本が読めただろう。
まあ、時間は当たり前だけど不可逆なので、取り返しはつかない。
でも歳を重ねるにつれて、後悔の念と、今更ながら学習への欲求と、言葉に携わっている人間としての語彙力の低さへの羞恥が、下手なオッサンの投げ釣りの釣り糸みたいにオマツリを起こして、本を読む機会が増えた。
空港では雨宮処凛著「生きさせろ!難民化する若者たち」を読んだ。
ワーキングプアに関する本は何冊か読んだけど、この本は具体的に当事者からの証言が書かれていて、書籍や雑誌やニュースで継ぎ接ぎになっていた自分の中の言葉たちを、バチっと繋ぎ合わせてくれるような一冊だった。
そしてもう一冊。
石井光太著「神の棄てた裸体」。これはイスラム社会の貧困と性について書かれたノンフィクション。
インターネットやニュースで得た情報で、我々は何かを知ったような気分になることが多い。でも、現実というのはその何倍もの情報量で存在する。それはもう、圧倒的だ。自分の無知も手伝って、知らない世界の知らない現実が露になって(これでもその一部だろうけど)、己の無力さを思い知る。
「面白い」という言葉を使うことには気が引けるけれど、貪るように最後まで一気に読んでしまった。(石井さんの「物乞う仏陀」という本も興味深かった。)
ふたつの本のふたつの輪は、規模も視点も違うのだけれど、搾取する側と搾取される側という共通点がある。
国内と海外の話ではあるけれど、根っこには「グローバル経済」とか「資本主義」とか、そういう類のコトバが転がっている。
我々は西洋の音楽であるロックンロールというスタイルを輸入して、積極的ではないが、「グローバルなんとか」に加担している職業なのかもしれないし、音楽に値段をつけている当事者だから(希望した価格を自分でつけているわけではないけど)、「資本主義」にいくらか足を突っ込んでいる。罪悪感はもちろんある。
せめて鳴らす音だけは、誰かの何かにプラスの作用を持っていたいと、そう願う。
上記の二冊。
就職氷河期世代である、我々と同世代の30代にオススメします。
ということで。