20日。佐賀から宮崎に移動。
前日の佐賀でかなりスモークを吸い込んでしまい、喉がイタくて仕方なかったので、ホテルでゆっくりと静養した。夕方はお母さんの手料理みたいな体に優しい料理を出してくれる店で食事。そして、早めに就寝。
そう言えば、どっかのコンビニの前の街路樹に何千羽という謎の鳥が集結していて驚いた。そして鳴き声がもの凄い。ビックリしたなぁ。
21日。宮崎ウェザーキング。
デパートの地下、つまりデパチカに作られたライブハウスがウェザーキング。ところが、そのライブハウスの隣のデパチカは生鮮食品売り場が潰れてしまって、廃墟のようになっているのだ。楽屋からトイレまでの道のりが長く、ちょっと寂しい。
ライブはそんなことはお構いなしという感じでチキンナンバーン!!と非常に盛り上がった。最高。
本番前に食った元祖チキン南蛮はパンチがあって美味しい。だが、三十路間近の我々の朝食としてはいささかヘヴィ過ぎた。
そして追い打ちをかけたのは宮崎牛であった。とても美味いが次の日にクる!!胃腸にクる!!ミ!ソ!ジ!前!!
22日。東京に戻り、ラジオ収録。キヨシ大先生はスタッフと共に沖縄入り。
23日。休み。グッタリ。
24日。沖縄に当日入り。
ダンスホール松下改めナムラホールでライブ。沖縄の人は我々が出てくるなり指笛と来たもんだ。こういう雰囲気は沖縄ならではだと感じる。お客さんが個々、それぞれの楽しみかたで自由に楽しんでいる雰囲気。県民性や文化がそうさせるのか。
という訳でミミガーっと非常に熱い夜になった。熱いのは気温のせいではない。
25日。宜野湾ヒューマンステージ。
序盤は「ん?」と思うくらいおとなしかったお客さんも、途中からは踊りだすような熱気に包まれて、ソババババーっと熱い演奏をブチかました。途中でキヨシが「もう叩ききったぁ」という顔をしていたので、意地悪な俺は間髪入れずに予定外の曲のイントロを始めた。「まだやるんすか?先輩!?」的な顔をしたメンバーが面白かった。その曲でキヨシはヘロヘロになり、打ち上げに参加出来ず。でも良い顔してたなぁ。
泡盛とオリオンビールで乾杯。
26日。天気予報に反して、那覇は晴天。よってひとり観光を決行した。かれこれ2時間ほど那覇市内を歩き回って汗だくになったが、建物や景色が自分の住んでいる場所と全く質感が違うので、何を買うでも食うでもなかったけれど、とても「目が」楽しかった。
その後、空港でメンバーと合流。羽田に戻る。
27日。休み。
イサム・ノグチ展を観に行く。氏のコミュニティーに作用しようとする創作姿勢に感銘を受けた。
最近はなんかシュルレアリスムづいているなぁ。現実離れしたアートをすべて理解したり、感想を言語化するということは非常にむつかしい。こういうモノと接するときは「わかる」や「わからない」ということすらどうでも良いものかもしれんね。現実などを超越したもの(させようとしたもの)を鑑賞しに行くのだからね。うーむ。まあ、俺は俺なりにいろいろ感じたことはある。日記ではうまく説明はできないけど。
こういう時に自分の語彙力の無さに気づくね。もっと本を読んで、言葉の勉強をしないと。
掲示板、興味深くいつも見てます。
で、今回、ハンドルネームのいざこざとかを見ていて凄く思うところがあった。
例えばみんなが使ってるハンドルネームっていうのは掲示板上だけの仮の名前で、本当は非常に不確かなものなんだけど、使っているうちに愛着もわくし、その仮名自体に人格みたいなものを自分でも他人でも持たせるようになったりする。でもさ、こうやって簡単に別人がそれを使用できたりもするわけで、そうすると急にインターネットの不確かな部分、顔の見えなさや匿名性が浮きぼりなるよね。純粋に見えていた空間が急に不気味に見えたりさ。とても良い使い方をされていた掲示板だけにね、こういうイタズラみたいなのは残念だね。
俺はインターネット上というのは本当に不思議な空間だと思うよ。便利だけどドライだし、言葉では上手く言い表せないけど、なにか不穏な空気を帯びているように感じることが多い。沢山の情報が詰まっているけど、人々の「邪」も集めるというか。まあ、使い方にもよると思うんだけどね。
社会はこのコンピューターという「ハコ」にどんどん依存していってると思うんだけど、便利以外の部分に俺は恐怖を感じるなぁ。最早、記憶や計算や言語という面では、脳の一部を肩代わりしてもらっている場面が多いもんね。
目に映るものやその色、肌で触れる温度や質感、ニオイや僕らの愛する音楽や…。
全部この「ハコ」に入れる時代が来たら寂しいね。
俺は肌身で感じたいなぁ。