豚足のような腕のアイツ
カテゴリ:日記
26日。ダンスクラブ松下にてツアーファイナル。

沖縄の人たちは音楽を音楽として楽しむ。音楽に対して構えたところがないから、僕らがジャキーンと出したものにダイレクトな反応が返ってくる。みんなこうやって音楽を楽しんだら良いのになと本当に思える良い夜になった。

ツアーはこれで終了。



27日~28日。沖縄観光いろいろ。



29日。マザーミュージック。リップスライムのRYO-ZさんとSUさんがゲスト。RYO-Zさんのマシンガントークの隙間でSUさんはたまにボソっともの凄いキラーボケをかますのだが、それがもの凄く面白かった。





沖縄の休日、ひとりで南部戦跡をまわってきた。当たり前だけど、戦争のことをいろいろ考えずにはいられない。何十万、何百万人の日本人が亡くなって、それと同じくらいの外国人を殺して(人数がどうこうという問題ではないが)、それで残ったものを考えたら戦争がいかに虚しいかがわかる。でも、戦争から60年も経って、その「残ったもの」とかに鈍感になっていくのが恐いなと思う。ひめゆりの塔で薄ら笑いを浮かべてヘラヘラと観光しているヤツらの気が知れん。こういうヤツに限って「9.11の事件以来、僕の(私の)世界は変わりました」とか神妙な顔で言って、裏で人をぶん殴ったりしている。俺は当時から「9.11」を象徴的に語る日本人が嫌い。少年犯罪をゲームや映画や漫画や音楽のせいにしているのと近いものを感じる。短絡的。

人類はDNAに記された闘争本能による暴力から逃れる術はないのかね。僕らの生活の便利さ、つまり科学も「暴力」とともに進化してきた側面もある。アメリカ経済なんて「軍事費」で回っているようなものだしね。そういうことを考えると増々虚しい。

俺は人が人を殺す理由なんて、どんなものであっても「正当性」などそこにあってたまるかと思う。でも、例えば家族を誰かに奪われてしまったときに、そういう憎しみを相手に対して抱かない自信は全くない。「平和」を強く望んでいるけれど、いざ自分にそれが降りかかったとき、冷静でいられる自信がない。悲しみや憎しみを人にぶつければ、それは必ずループする。というか、そもそも人に向けられた感情は良いものでも悪いものでもループすると俺は思う。だから、その憎しみや悲しみの原点に俺はなりたくない。人から受けた少しの悲しみや憎しみだったら、飲み込んで消し去ってしまえるような人間になりたい。そして、俺の身近な人々が憎しみや悲しみの原点になったり、憎しみや悲しみのループに巻き込まれないことを祈っている。

世界情勢は複雑で、俺の想像や知識では追いつかないけれど、すべての紛争や戦争がなくなったら良いのにと、そんな夢みたいなことをちっぽけな日々の中で俺は考える。そして家族や友人のことを想う。
2005-06-30 1120106880
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