21日。岡山アクトロン。
「やまと」という店でラーメンを食ってから会場入り。ケンスイがえらくこの店のラーメンを気に入っていた。こういった食に対する感動をケンスイがおぼえた場合、必ず何度も「うまかった」ということを話し、同意を求めてくる。つまりUZAちゃんに変身するのだ。ライブにてそんなUZAちゃんケンスイは、本日7回目くらいの「あそこのラーメン旨かったね」という話をMCでお客さん相手にしていた。UZAちゃんではヌルい。UZAさんと呼ぼう。そしてライブ。トゥ・シャイな岡山BOYS&GIRLSも最終的に熱狂した夜になったと思う。
終演後、広島に夜走り。
22日。広島クアトロ。
お好み村近くの広場では、なにやらTV番組のイベントが行われているらしく、えらく盛り上がっていた。路上ミュージシャンの番組らしい。そう言えばその昔、「路上でライブやらない?」みたいな話をされたことがある。駅前とかの広場とかでバンドがやってるあれをやってみないかと。まあ、恥ずかしすぎて無理だったので、即答で断ったのだけど。ある種、ライブハウスでやるより度胸がいるよね、路上は。俺は酔っぱらいでもしない限りは一生出来ないだろうなぁと思う。まあ、個人的な好みで言うと路上でバンドが演奏してるのを見ると、「うるせぇな」と思うことが多いな。シブい民族楽器とか、北海道で見た打楽器が異様にうまい外国の人とかは見入ってしまったりする。アンプとか電源使うならライブハウスが良いよね、やっぱり。アコギの人たちはクオリティーがいろいろなんだけど、ダイレクトな分、電源使ってる人たちよりあったかく感じます、路上では。
広島ライブはお客さんがアツい。演奏も良かった。
23日。広島にてスペシャ収録。その後、電車で奈良に移動。
特にハプニングのない平和な一日だった。
24日。奈良にて現地オフ。
奈良で丸々1日休みだったので、観光大作戦を決行した。神社仏閣を観光する場合、閉館時間に注意しなくてはならない。大抵の場合は17時くらいなことが多い。つまり、神社仏閣は午前中から攻めろということ。爆睡しているであろうメンバーはさておき、俺は10時に出発して奈良市内をいろいろ見てまわった。ひとり旅を満喫していると、東大寺付近でチャリンコを引きずり、「奈良観光を満喫してマース!」というヘンに声が高い男を発見。「キヨシ、お前もか。」
しかし、修学旅行の学生が多い場所では緊張する。正直言って、「コイツらに発見されたら相当ウゼェな」と思いながら観光している。ひとりふたりなら良い。街の中などでもたまに声をかけられることはあり得ることだ。だけど、修学旅行中の学生だけは恐ろしい。なにしろテンショーンが高すぎる。「いたぞー!!捕まえろー!!」という騒ぎになること間違いなし。そういうテンショーンで学生は騒ぎ、仏像なんかそっちのけだ。ハンドマイクで解説する教頭先生の歴史ウンチクなんかもクソくらえという雰囲気だ。だって、テンショーンが高くなかったら鹿のツノのカチューシャなんて出来ないよ。木刀なんて買えないよ。鹿せんべいを1枚食べてみたり出来ないよ。
そういうテンショーン、実は少し羨ましい。楽しそう。鹿のウンコ見ただけで爆笑できるテンショーンが欲しい。意味もなくダッシュして担任に怒られるほどのテンショーンが欲しい。なのに俺は、売店で売ってるバッタものTシャツ「KAZIDESU(アディダスのロゴが燃えている)」とか「夢」ってどデカく書いてあるTシャツとかそういう不条理な売店を見てニヤついたり、「この柱の穴の大きさは大仏の鼻の穴と同じ大きさです。」という趣旨がわからないガイドの解説を聞いてニヤついたり、交差点で凄くクサい臭いがしてきたのに後ろの外国人が「ナイス・スメル」とか言っているのを聞いてニヤついたり、とにかくニヤニヤニヤニヤしていて気持ち悪かっただろうなと反省しきりです。
でも、奈良観光は楽しかった。
そう言えば、スタッフが話しているのを聞いたり、ネットでサイトを見たりしたのだけど、下北沢の街が大幅に変わってしまう都市計画が進行しているということで、非常に複雑な気分でいます。地域住民のたっての願いということならば(このあたりの知識が十分ではないので)仕方ありませんが、アマチュア時代からライブや買い物で親しんでいる下北の街が変わってしまうということは寂しく思います。
日本の産業というのは、「とりあえず税金使ってハコモノなり道なりを作る」という方法である程度回転してきたことは間違いないのですが、こういった方法が最早限界に来ていることは、結構簡単に想像できることです。僕らが一生懸命働いて納めている税金の使い道として、こういう従来の方法は(すべてとは言いませんが)有効だとは思えません。例えば、俺の出身の静岡県に空港が出来る予定ですが、名古屋と東京のド真ん中に空港の必要性があるとは到底思えないし、日本有数のお茶どころの美しい風景がなくなってしまうのは寂しく思います。
なんかまあ、エラそうなことを書きましたが、そろそろいろいろなところで、考え直さなければいけないことが多い、そういう時代なのではないかと俺は思います。僕らの世代は、そういうことを考えていかなければなりません。
(下北沢の件も、静岡の件も、いろいろな立場の方がいるかと思います。今回の日記で不快な気分をさせてしまったら、すいません。)