7日。ゼップ東京にてini主催のライブをキヨシマカープと観に行く。駐車場にてアシッドマンのメンバー3人が「どう考えてもゼップはそっちではないよ。」という方向に向かい全く関係ないエレベーターに乗ろうとしているところを目撃し、ゼップまで案内する。場内でホリエーホークスと合流。豪華なメンツのライブを観て興奮した。そしてグっときすぎて半泣きになる。
リスペクトするバンドが終わってしまうというのは正直寂しい。でも俺もキヨシも忘れることはない。
どんなバンドも絶対にいつかは終わる。その時に誰かの胸に一生残る曲をいくつか作れていたら最高だと心から思う。綺麗ごとではない。
表現者はエゴの固まりだけど、受け手があって初めてその表現は成立するし、欲求が満たされたりもする。よくよく考えると「どこに投げるかは俺の勝手だけど、俺としては最高のボールだと思うし、とりあえずキャッチャーミットは構えておいてな」という無茶苦茶なことを我々は言っているようなものだ。そして「忘れないで欲しい」と思うのだからワガママだなとつくづく思う。
例えが下手。
8日。新曲練習。
いろいろなことを試していたら恐ろしく難しい曲になってしまい、皆でテンパりながら練習している。この新曲が完璧に演奏できるようになったとき手に入るものが分かっている。その考えが共有されているのが今のアジカンの強みだ。
手法やアイデアを褒められたいのではない。「良い曲だ」とか「聞いて興奮した」と言ってもらえる瞬間が嬉しい。そのための手法とアイデア。この順序が逆になってはいけない。努力という行為が努力そのものを評価されるということ目的としていないように。
バックビートと休符、数学的な解釈では説明がつかない間の共有によってグルーヴは生まれると思っている。
がしかし、現状の自分のリズムの弱さに落胆している。練習あるのみ。