自由について
カテゴリ:日記

 

 自由という言葉はとっても難しい。個人の自由が際限なくどこまでも延長されるような社会はどんなかというと、まあ、はっきり言って皆ケモノのように奪い合う状態なのかもわからない。一方で、そういうもんは流れでええ感じに調和されて行くのであるという考え方もあるけれども、人間がそんなに高尚な生き物だとは俺は思えない。で、まあ、「自由」なんていうものが昔からあったわけではなくて、先人たちがいろいろなタイミングで様々な抑圧を排除する努力をし、獲得され、現代を生きる我々も「自由」という概念の恩恵を受けて生活を営んでいるわけだから、自由なんてあるかいボケと言って放棄してしまうのはもったいないというよりは失礼だと思う。ただ、この自由というやつは面倒で、時代によってアップデートが必要なのだと思う。時には権力からの抑圧によって押し戻されてしまうこともあるだろうし、自由の名の下に誰かの自由を著しく奪ってしまうなんてこともあったりする。そのために法というもんがあって、自由と自由が衝突した場合について決めておく必要がある。我々の自由はこの法のもとで平等なのだ。その法もアップデートが必要なんだけれども。

 

 表現は自由だ、なんてことを俺はあんまり考えたことがない。なんでだろう。うーむ。というのも、俺は表現をするときにある種の緊張感をいつも持っている。誰よりも、自分がまずは自分の作品を批評するので、そういうところに自由とは真逆の向きで葛藤が起こる。それってどうですかと、誰よりも自分に問われる。そこには責任みたいなものも含まれていて、例えば詩でもインタビューでも、その言葉は本当に相応しいものですか?とか、あるいは、この言葉選びで誰かが傷ついた場合、お前はどう責任を取るのか、という問いが立ち上がって、それを乗り越えて、それでも意味や意義があるという決断を経て、俺の表現はアウトプットされている。特に言葉はそうだ。

 

 まあ、音楽なんかは真逆で、自由そのものでしかないというか、ジャカジャーンというギターのカッティングに感情こそあれ、言語的な意味なんかはまったくわからないし、そういうところから解き放たれている、という意味で徹底的に自由である。でも、隣近所の婆さんが夜も眠れないと訴えるならば、止めなければならないんだけれども。音楽は自由だけれども、違う角度で、別の場所から誰かの自由が衝突してくる場合もある。

 

 だからまあ、本当の意味で、自由なんつうのは、ない。幻想だと思う。というか、観念の中だけのものなんだと思う。現実に表出させて、それをドライブさせるには、もっともっと知恵が必要なんだと感じる。それは前にも書いたけれども、常にアップデートし続けないといけない。どこがラインなのかについては。

 

 やってはいけないこと、言ってはいけないこと、描いてはいけないこと、そういうラインは、俺はあると思う。なんでもやっていいなんていうのはただの怠慢であって、自由ではない。クソほどの批判を受けようとも、処罰されようとも、責任を全うする覚悟があって、はじめて立ち上がるものだと思う。

 

 そして、人を傷つけたり、命を奪ったりする行為に、自由などあってたまるか。とも思う。

 

 でも、僕らは自由を夢想し続けないといけない。そこのところが難しい。維持管理っていう言葉が近いのかな。放り出してはいけないけれども、寄りかかっても、ぶら下がってもいけない。そういうものだと思う、自由は。

 

 1月10日。

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