変わるということについて
カテゴリ:日記

 

 元あふりらんぽのPIKAたちがやっている『TAIYO 33 OSAKA』という団体/活動のトークイベントに参加した。映画『ホピの予言』の上映後のトークセッション。

 

『ホピの予言』とかいうタイトルから、なんやスピリチュアル系みたいんで胡散臭い、というような第一印象を持つ人もいるかも知れないけれど、ホピ族というのはアメリカの原住民族のひとつで、その彼らがウラン採掘によってとんでもない生活環境にありますよという映画です。その、ホピ族には古くからの言い伝えがあって、それを絡ませているというか、それが示唆的だということで映画のタイトルにはなっていますが。

 

 核燃料を作るのも簡単なわけではなくて、世界のどこかで採掘が行われていて、それを燃料として使えるまでに出る廃液の問題や、様々な労働の中での被爆の問題があって、俺らは何も知らんと生きているのだなと思い知るわけです。おうゴッサン、また原発の話かと、こういう話題に辟易としている世間の空気を俺は感じますけれど、いやいや、話し続けないといけないですよね。

 

 で、こう言う話はウランだけのことではなくて、例えば、ポテトチップスを揚げているパーム油のためにアブラヤシに植え変えられて生態系が破壊される熱帯雨林とか、チョコレートのカカオを栽培するために行われているアフリカでの児童労働とか、エビの養殖池のために行われる自然破壊だとか、まあ、俺らが俺らの生活を便利に楽しく!っていうことがぶっ壊しているもの、いろいろあるんです。そういうことを知ってしまうと、もう知らないふりはできない性分なんです。まあ、こんなにまで大きな流れを止めるような大それたことはできないので、無力感のほうが強いんですけれど...。

 

 で、変わったり変えたりするには、それぞれの現場で、それぞれの人間が小さく変化すること。それが積み重なること、しかないので、俺は何度も同じことを、違う語り口で言います。それで、誰かひとりにでも、その小さな変革が起こせたらと思う。革新って、あまり好きではないんです。ドラスチックな変化が拾いそびれるものって結構ありますから。音楽性のように社会は変わらない。じりじりと、じわじわと、変わって行く人が増えて、それが一定数に達したときには社会は変わっている。スピードはいろいろかもしれないけれど、そういう変化が、起きたらいいなと思う。

 

 だけど、そういう変化のためには、言葉と行動が必要なんです。NO NUKESというイベントに出るのも、そういう意志があるからです。原発に対して発言することが、なんとなく避けられていくような空気のなかで、それでも俺は、今のやり方を続けていくのは無理だと思っている。そして、電気を使って生活する我々こそ(俺こそ)が変わらないといけない。そう考えています。誰彼が悪いのではなくて、自分が変わること。そうありたいと思います。

 

 元官僚、現在はNPO団体の駒崎さんの記事、是非、読んでみて下さい。「変革と未来」という記事です。こちら

 

2013-02-21 1361396280
©2010 Sony Music Entertainment(Japan) Inc. All rights Reserved.