メリシャカライブ 西本願寺
カテゴリ:日記

 

 「メリーお釈迦の誕生日」の略語・造語であるらしい「メリシャカ」は、浄土真宗本願寺派の若手僧侶によるコミュニティであるとのこと。その「メリシャカ」の皆さんが企画するライブであるメリシャカライブに参加してきた。

 

 会場は西本願寺の隣りにある西本願寺聞法会館のホール。ステージ後方には阿弥陀如来がかかげられた祭壇があって、胸を張って私は仏教徒です!とは言えないくらいの、法事やお盆など世間一般の標準的な日本人という程度にしか仏教に馴染みのなかった俺はとても緊張した。同時にありがたい気持ちにもなった。こういった緊張やありがたみを感じるのは、恐らくこれまでの生活の中に仏教というものが普通にあったことが原因だと思われ、お経を積極的に読んだりはしないものの、実家に帰ればお爺さんやお婆さんを思って本家の仏壇に手を合わせに行ったりするくらいの信心は俺の中にあって、意識しなくても普段から仏教のなにがしかは側にあったのだと、思った。文化として、俺の育った田舎には密着して、ある。宗派は違うけれど。

 

 ライブの前には釈撤宗さんと松本紹圭さんとのシンポジウムもステージ上で行われた。門外漢の俺が釈先生や松本さんのような有能な僧侶と同じ場で仏教について話すとは、なんともいえない恥ずかしさと緊張感があったけれども、そこのところは厚顔無恥を絵に書いて設計してから鈍い岩石をノミで不細工に叩き削って実体化したような俺はいつもの饒舌に拍車、思っていること感じていることをいろいろ語ってしまった。おふたりは流石、俺の素朴な疑問に答えてくださり、とても勉強になった。釈先生の「手をはなすこと」という死や執着(お布施についても)に関する例えは正鵠を「射る」というよりはもっと優しいニュアンスで「抱きしめられる」ようなお話で、今後歩みを進めていくうえでの指針になるような言葉だった。

 

 控え室で、おふたり、そして木下明水さんと交わした言葉もとてもありがたかった。もっとお話を伺いたいと思った。なので、またどこかで機会を作って(例えばFUTURE TIMESで)、おふたりのお話は伺いに出掛けたいと思う。ここでグダグダと俺が書いても、訳の分からない文章になることは必定なので、控えたい。ただ、お三方と語らうことで、物差しが貨幣価値、等価、という考え方だけではやってはいけないのだという、震災以降ずっと考えていることが間違いではないという確信を得たことだけは、ここに記しておきたい。

 

 現代を生きる俺たち(勝手に「たち」と書いてすみませんが)には寄付やお布施の精神が足りないし、苦手だ。一口1000円の寄付ボタンをクリックしたり申し込んだりできても、値が定められていない寄付やお布施については戸惑ってしまう。俺も例外なくそうだと言える。震災以降、お金での募金(義援金)も直後にやってみたものの、その実体の掴めなさというか、感触のなさに戸惑った。銀行行って終わり、みたいな感じは嫌だなと思った。だから、俺は身体と時間を差し出そうと思って『THE FUTURE TIMES』を自腹で作った。歌いに出掛けたりもした。どちらのほうが効果があるのかは、分からないけれど、お金では買えない「時間」とか、俺の「身体」とか、「行動」とか、そういうもんを差し出したいと思ったことを思い出した。

 

 ライブはとても良い雰囲気で行えたと思う。今年は様々な場所で弾語りライブを行ったけれど、今年一年の集大成のような内容だったと思う。気持ちを込めて(毎度だけど)歌い、それがちゃんと会場内の空気に伝わったように自分では感じた。

 

 

 YeYeと『LOST』を歌ったりもした。「すべてを失うために すべてを手に入れようぜ」という歌詞が呼んでくれた機会だったと思う。ある種の逆説でもあるし、生の肯定でもある一行。俺は「手をはなす」ための準備が全くできていない。まだまだ学ばないといけないことは沢山あると実感して、中華料理屋で己の煩悩を確認しながらチンジャオロースーなどを食べ、青島ビールを飲み、気絶するように床に着いた。12月22日。

2012-12-22 1356133740
©2010 Sony Music Entertainment(Japan) Inc. All rights Reserved.