田ノ浦に行ってきました。
カテゴリ:日記

※5000字クラスの長文なので、ご注意ください。

 

Aでなければ必ずBだという考え方。こういった記号を使ってしまうと、物ごとの全てがシンプルなのだと錯覚してしまうことが多いのだと思います。実際には、記号化出来ないくらい複雑ですよね。そんなこと、誰もが知っている。でも、自分とは関係のない物ごとを考えるとき、10か、敵か味方か、白か黒か、中沢新一さんの言葉を借りるならば全てを「二項対立」させてしまうような風潮、潔癖性、そういうものを世の中や大きなメディアから感じます。それはとても恐ろしいことです。

 

原子力発電に対する私のアティチュードも、自分自身でAなのかBなのか分かりません。つまり、「賛成」なのか「反対」なのか。それでも世の中はどちらかの派閥に分けたがっているように感じます。アジカンの後藤は反対派なのか賛成派なのか。どちらと思われても構わないのですが、極端に誤解されるのが嫌なので、現在自分が原子力発電について考えていることから、まずは書きたいと思います。

 

 

放射性廃棄物の問題がなければ、原子力は夢のエネルギーでしょう。安定的に電力を供給することが出来るし、やはり燃料のコストは石炭などにくらべても安いのだという話を実際にうかがいました。高速増殖炉という技術が安全性を持って稼働するならば、この先1000年以上に渡って放射性を持たないウランからもエネルギーを取り出すことが出来るとのことです。

 

一方で、先にも書いたとおり、延々と放射性廃棄物を生み出すという問題があります。私の問題意識や疑問の核心、源泉はここにあります。地中奥深くの固い岩盤に埋設して、少なくとも数百年、あるいは数万年(どの数字が正しいのか判断する学識が私にはないのですが)も隔離しないといけないような危険な物質が生成されているのです。江戸時代以前に排出された生死に関わるほどのゴミを現代が引き受けているところを想像してみて下さい。とても複雑な気分になりますよね。日本では、この放射性廃棄物の最終処分場がまだ決まっていません。「トイレなきマンション」とも言われています。

 

技術的に、この問題が解決されるのであるならば(例えば放射性廃棄物の放射能をゼロにするような技術の発見)、そういう確証があるならば、私は原子力発電こそが未来のエネルギーだと言えるのではないかと感じています。恐らく、いろいろな場所で技術者や科学者たちが研究に勤しんでいることでしょう。その方法を発見すれば、ノーベル賞どころの話ではないでしょうから。ただ、現時点では、解決していない問題だと考えています。

 

一方で、現在使用されている原子力発電所を停止するというのは無理だということも理解しています。突然に原子炉を停止すれば大変なことになるということくらい、私にだって想像できます。私も例外なくその恩恵で便利な生活を送っているし、音楽を作ったり演奏したりすることにも電気が必要不可欠です。自家発電のみで生活しているひと以外のほとんどの日本人は、原子力で発電された電気を割合はどうあれ使用しています。

 

 

私は、ゆるやかに原子力発電の規模や割合を縮小していくべきではないかと、そんなふうに考えています。今日明日のことみたいに話すから、物ごとが白か黒かになってしまうのではないか、とも。だから、100年くらい先の、何世代も先にどうなっているかを考えて、話をするべきだと思うのです。これは、具体的な解決方法の話ではありません。社会の大きな矢印の向きの話をしています。

 

延々と経済発展していくようなベクトルの思考を止めて、社会全体でエネルギーのあり方を考える。それを生活に密接させる。正しい研究機関やエネルギー産業にお金が落ちるような社会の構造を希求する。そんなことが必要なのではないかと思います。(ハコモノ行政や経済振興や過疎対策として使うには、原子力発電所はリスクが大きすぎると思っています。)

 

まあでも、はっきり言えば、関心のないひとがほとんどでしょう。何か深刻な事件が直接的な場所で起きない限り、生活が脅かされることはないですから。

ただ、やはり考え直さなければいけない時代なのではないか、それはエネルギー政策のことだけではなくて、社会全体の仕組みについても同じことを感じます。大きな閉塞感を感じます。と、同時に、それを変えて行こうという気運も感じています。

 

基本的に、私は皆さんに、まずは「理想的なこと」を考えて欲しいと願っています。出来る限り、「現実」である実生活とは切り離した部分で考えて下さい。「現実」は否応なく、もう手の中にありますから、手にしていないものについて考えてみて下さい。

そして、「理想」と「現実」はいつだって何らかによって引き裂かれます。多くの矛盾が存在します。その間を埋めていくしかないと、私は思います。白でも黒でもないところに、道があるのだと思います。歩める場所は「現実」の上にしかありませんが、道の方向をポジティブなものにするのは「理想」です。だから、「理想」を語ることはとても大切です。そう信じています。

 

 

長い文章になってしまいました。

 

上記の文章は、これから書く上関町の田ノ浦見学記した日記と、広い意味で関係しています。ですが、全くの関係性を持って語るには、問題が複雑だと感じています。なにより、私は現地の住民ではありません。

 

なるべく私の心にあるバイアスを削ぎ落として、今回の見学記を書きます。これは「あるミュージシャンからみた視点」だ、ということを踏まえて読んで下さい。一億分の一の視点からのパースペクティブ(立体的な物ごとの配置というような意味で)、それが折り重なって、社会が出来ています。この駄文が、皆さんがそれぞれのパースペクティブを今一度再確認ためのひとつのノイズになって貰えれば嬉しいです。

 

 

 



  

 

博多駅から新幹線で、徳山駅へ。新幹線の中で少し居眠りをすることが出来たが、9時前に到着ということで、まだ眠い。前日の福岡ライブ後の打ち上げではお酒を控えたので、体調は万全。久々の運転で緊張ぎみだったのですが、この日は急遽、福岡のイベントスタッフ・Fキングも「参加したい!」とのことで同行してもらうことに。まずは、駅前でレンタカーを借りました。

 

 

相談の結果、運転はFキングが担当することに。自力で行くということが目的のひとつでもあったので、自分で運転したい気持ちもあったのですが、結果的には運転してもらって良かったです。周南から光市、上関町に入ってからしばらくは2車線道路が続いたけれど、田ノ浦に近づくにつれて道は細くなって、ペーパードライバーでは脱輪、もしくは崖から転落しそうな道もあったので。

 

同行人がいたということが救いではあったけれど、田ノ浦の浜に向かう道が分からずに困りました。カーナビには載っていない場所が目的地であったために、行き止まりの道を行ったりきたりして、随分と迷いました。現地のひとたちは複雑な気持ちだろうし、外部のひとたちが来ること自体を快く思っていないひともいるかもしれない、そんなことを考えていたので、大変緊張しながら道を探しました。かなり進んだところにある小さな港で住民の方に道を尋ねたときには、変な汗をかきました。ひとりでは辿り着けなかったでしょう。行きは2時間以上もかかりましたし。

 

迷い込んだ農道を歩いていると、後ろから小さな軽自動車が追い越して行きました。その方も盛大に道を間違えて、バックでもとの場所まで戻ることになったのですが、結果的にその方の案内で基地であるログハウスに向かうことが出来ました。isepの飯田さんという方だったと思います。どうもありがとうございました。

 

 

 

中国電力が雇ったガードマンに簡単な尋問を受け、農道のような道をしばらく進んだ奥に車を止めるスペースが少しだけありました。そこから歩きます。

 

 

 

可愛い看板が建っています。


 

 

さらに進むと開けた場所が右手に。左にはモノレール。建設作業員用の駐車場のような場所になっています。

 

 

 

 

 続いて、このような道を進んでいきます。

 

 

 

ログハウスに到着。駐車した場所からは5〜600メートルくらい来たでしょうか。

 

 

驚いたことに、太陽光発電で電気を賄っている様子。かなり立派な発電装置がありました。(写真がわかりにくくてすみません)

 

 

ログハウスからの眺め。田ノ浦の浜辺が少し、右奥には祝島も見えます。とても良い景色。実際には、私の写真の数倍の美しさがあります。もっと撮影の腕があったら良かったのですが。

 

ログハウスのとても親切なスタッフの案内でトイレをお借りし、浜辺まで向かうことにしました。「お米を降ろして欲しい」と、浜から戻って来た方に頼まれたので、浜までのお米の運搬を手伝いました。そんなに重い量ではなかったですが。

 

 

米を持つFキング。

途中、野犬なのか飼い犬なのか分からない犬とすれ違い、ふたりで大変肝を冷やしました。前日の雨でぬかるんだ森の中の細い道を抜けて進みます。

 

 

 

工事の現場が見えてきました。なにやら大きな池のようなものが見えます。

 

 

さらに進むと、このように工事現場の真ん中を通るような形で道が続いています。あと少しで浜に辿り着きます。

 

 

ビーチの手前には大きな重機が既に入っていました。

 

 

 

浜辺に到着。現場で寝泊まりをする反対派の方のテントとカヌー、そして工事の柵。お昼時ということで、数人の方がたき火を囲んで昼食と談笑。それを遠目に工事現場の人たちが眺めているといった構図です。

 

 

しばらく眺めていると、突然、10人程度のガードマンがテントの周りを一周だけグルっと回って帰っていきました。何の意味があったのかは良く分かりませんでした。浜辺の皆さんは普通に談笑を続けていましたし。謎。

 

 

 

しかし、本当に海が綺麗です。水もかなり澄んでいる。珊瑚はないけれど、沖縄の海に近いような美しさです。ほんのりエメラルド色なところが独特です。太平洋のような外洋に面していないことが生む美しさなのだと思います。ここまで綺麗だとは驚きました。

 

 

ほれ。凄いでしょう。向かいに見えるのが映画「ミツバチの羽音と地球の回転」でも取り上げられている祝島。地元の漁師の方もいたので、しばらく話を伺いました。ここは森に降った雨が沸き出しているところなので、本当に綺麗なのだと、こんな財産みたいな場所を埋めるなんて考えられないと、そう言っていました。お金には変えられないのだと。

 

 

 

帰りにログハウスで祝島名産の「びわ茶」を購入しました。通販もあるようなので、飲んでみて美味しかったら、また買おうかと思っています。

 

 

ちなみに、地図で言うと、こんな場所です。※中央下の家のマークのところです。

 

 


 

こういう場所の美しい海がなくなってしまうとしたら、残念ですよね。我々の活動する横浜は多くの埋立て地の経済的な恩恵を授かっていますから、どのツラさげて「残念」だという声もあるでしょうし、なにより住民の実生活の問題とは乖離した場所からの漠然とした意見にもならないような「想い」なので、そのあたりが心苦しいですが、もうこれ以上の環境破壊はなるべくしないほうが良いのではないかという気持ちが、率直に言ってあります。

 

難しいです。

 

いろいろなサイトを観たり、実際にひと(電力の仕事をしている方や、原発の街に暮らす友人など)に会って話を聞いたり、資料を頂いて目を通したり、そういうことを私なりにしていますが、「難しい」という言葉に辿り着いてしまいます。でも、この「難しい」って逃げ口上にもなるので、ここに留まっているのもいけないのだと感じます。

 

皆さんはどう思いますか。どんな未来を考えていますか。

そんな話がいろいろな場所で行われて欲しいなと思います。たとえば、私以外のアジカンメンバーは、こういったことに関して、あまり興味がないように思います。あるいは、興味があっても積極的に話しをすることはありません。

 

こういう身近な場所から、私も始めてみようと思います。


 

ちなみに、私の地元の街の近くにも、浜岡原子力発電所があります。物心がついた頃には既にありました。小学生の頃、一度だけ見学に行った記憶があります。実家に戻ることがあったら、また立ち寄ってみたいなと最近は考えています。また違う視点で、街の風景が見えるかもしれませんし。

また何か思うことがあったら、書きますね。読んでくれた皆様、どうもありがとうございました。

2011-03-09 1299602492
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