沖縄での休日(クリスマスイブ)
カテゴリ:日記


ツアーで沖縄に来るときには、原付バイクを借りて南部戦跡を巡ることが私の日課になっています。「ひめゆりの塔」もそうですが、何より「平和祈念公園」に並べられた石碑に刻まれている膨大な戦没者の氏名には、何度訪れても言葉を失うばかりです。そこから見た海の濃く美しい青さは、今でも目に焼き付いています。No.9という曲の歌詞にもなっています。

今ツアーの沖縄公演は、どういうわけかクリスマスイブが完全なオフ日になってしまいまして、何処に行こうかと考えたのですが、今回は南部戦跡ではなく、進路を北に変えて、辺野古に行ってみることにしました。

ここでひとつ問題だったのは、那覇から原付で行くには辺野古が遠いということでした。前日までは原付で行くと決めていましたが、スタッフのアドバイスもあって、レンタカーを借りることに。しかし、私はかれこれ8年くらい運転からは遠ざかっていたのです。完全なるペーパードライバー。それを心配して、他のメンバーにも呼びかけてみましたが、全員NG。ダイちゃんだけは興味を示してくれましたが、この日はフジファブリックの志村君の命日ということもあって、山梨に行くことになっていたのです。仕方がないので、私は前日から緊張のあまりお腹を壊しながら、勇気を振り絞ってレンタカーを借りることにしました。

レンタカーの店に着くと、私の誘いを断ったケンさんが、ヤマちゃんと一緒に別のレンタカーで出掛けるところでした。ふたりはひとまず、読谷村までご飯を食べに行くとのことでした。
「昼飯だけ一緒に行く?」という言葉を待ちましたが、ついに彼らの口からは発せられることなく、逃げるように彼らは沖縄ソバ屋に向かって出発してしまいました。とても寂しい瞬間でした。

心臓がバクバク言うというより、へその下のあたりをキューっと押さえつけられるような緊張感でした。それでも、「決してペーパードライバーではありません」というような表情で、それを店員に見抜かれないように装い、恐る恐る車庫を出ました。「お客様には当店の大切な商売道具をお貸し出来ません」と言われはしないかとドキドキしました。いきなりの左折で、右に大きくはみ出したときには、恥ずかしさとともに死を感じました。それがかえって、この後の超が付くほどの安全運転につながったので、まあ、良しとします。


まずは宜野湾市にある普天間基地に向かってみました。



10年前に旅行で訪れたとき、街のド真ん中に基地があることに驚きました。それでも当時は、古着屋や家具屋に立ち寄ったのみ。宜野湾でライブをする機会があっても普天間基地を眺めることがなかったので、近くまで行ってみることにしました。


基地単体の広さもそうですが、これが街の中央にあるということ、これはやはり我々の住んでいる街では見かけることのない光景です。フェンスの中にアメリカ風の住居が並んでいる地域などの前も通りましたし。一望出来そうな場所を私のドライビングテクニックでは発見出来なかったので、沖縄国際大学の近くにある門の前まで来てみました。クリスマスということもあってか、とても静かでした。

ここが返還されるということを前提にして、次は辺野古へ。



辺野古の港に着くなり、海の水の透明度に驚きました。東シナ海の海辺とはちょっと風景に違いがあるのですが(外洋に面している厳しさみたいなものを感じる)、とにかく水が綺麗。



ここが辺野古浜。
遠くに見える鉄塔の右側が海に突き出した三角形の半島で、ここに新しい滑走路を作ろうというわけですね。手前に見えるのはバリケード。ここから先はキャンプシュワブという米軍の施設です。というか、このあたり一体、ほとんど米軍が使用している土地なのです。カーナビの地図を見れば一目瞭然なのですが、地図が灰色に塗り潰してあるのです。那覇から北に行くと、かなりの割合で灰色の地図の合間を道路が走っていることに驚きました。想像以上に、沖縄の土地は米軍が使用しているのだということを実感しました。とにかく広大。



有刺鉄線によるバリケード。横断幕や無数のリボンで飾られています。



接写。錆びてはいるけれど、見た目よりも鋭い感じです。


 



港の奥には反対派住民のテントが。座り込みをしています。
写真の撮影は快諾して頂きました。

近くではTBSの取材班が撮影をしていました。地域の方に取材を申し込んでも、なかなかインタビューを受けてはもらえないのだと言っていました。正直に言えば、マスコミに町を引っ掻き回されたくないのだと、そういう方も沢山いらっしゃるそうです。

とても静かな町でした。


帰りは嘉手納基地に立ち寄りました。





フェンスの右奥に並んでいる黒塗りのジェット機には不気味なものを感じました。望遠機能のない私のカメラで撮影したこの写真ではわかりませんが、実際に見るとかなり大きくて驚きます。飛行場としても、立派なものです。普天間と嘉手納の両方がないと、安全保障が成り立たないとは到底考えられないくらいの規模ですね。「嘉手納だけでは足りないのかな」と、素人ながら強く思いました。普天間飛行場の持っている能力が、国外に移設された場合に安全保障を脅かすほどに大きいのでしょうか。それなら、米軍が使用しているこの広大な灰色の土地は何なのかと、そう感じずにはいられませんでした。施設としての機能はそれぞれ違うのでしょうけれど。

沖縄の本を何冊か読んだり、地元のスタッフの方から話を聞いたりすると、やはりとても複雑な問題なのだということを身につまされます。複雑過ぎて、これといった態度を決めかねてしまうくらい、いろいろな要素が絡み合っています。政治と外交の問題、経済の問題、国や自衛隊のあり方にまで話が及びますね。こうして公の場で言葉を綴ることに、とても緊張します。

ですが、やはり、沖縄のひとたちに負担を押し付けているのは明白です。経済や雇用については、他にいくらでも施策があると思います。経済的な問題のいくつかも、歴史の中で沖縄に押し付けてしまったことのひとつだと私は思います。是正するための手段を国が取るべきなのではないか、とも思います。


この日記は沖縄をドライブしてみて、私が思ったことです。日頃から考えていたこともありましたが、実際に行ってみて感じたことが沢山ありました。ここに書き切れているかと尋ねられれば、すべてではありません。

でも、なんというか、自分の町にさえ無ければ良いというか、そういう雰囲気はどこにでもあるでしょう。きっと、普天間の移転先として地元の市や町が名乗りを上げれば、住民のほとんどが反対することでしょうし。話がちょっと飛躍しますが、かといって、米軍の代わりをあなたが担いますかと聞かれれば、それは勘弁してほしいと多くのひとが思うでしょう。私だって、兵士になりたいとは思いません。このように、自分の中にも矛盾した気持ちがあります。

例えば、家族や友達を守ることの意味はわかります。
でも、「国を守る」ってことはどういうことなのでしょうか。「国」って何なのでしょう。日本の文化や、土地や、風習や、言葉や、そういうものにはとても愛着があります。愛情も持っています。でも「国」と言われると、その概念をうまく捉えることが私は出来ません。「国土」という言葉には想像がついても、「国家」という言葉とは距離感が上手に計れないのです。誰のための何なのかという意味で。世界中で、この言葉のもとに多くのひとが苦しんでいます。「民族」や「宗教」という言葉も同様に、軋轢を象徴する言葉のひとつでもあると、私は感じます。

こんがらがってしまいました。

ただ、シンプルに、沖縄の米軍関連施設の面積の広大さには驚きました。そして、これはやはり、行き過ぎていると私は思います。地理的な問題があったとしても、偏り過ぎている。そう感じます。

2011-01-08 1294450020
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